panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

誰も帰って来ない


  消えたブログの文章は再現できないが、写真はこれである。つまり我輩を育て上げた規範的家庭モデルがこれなのである。ふふふ。誰も気づくまい。我輩が戦後象徴天皇の民主教育のたまものだとは。ふふふふふふふ、ふっ。しかしそれから何十年もたった。いまや東南アジアが恋しい日本人となてしまたあるよ。かくして、末は白紙かタイ人か。というのがオチだったのだが、うーん、未練がましい奴であるなあ、我輩。
  ところでこの写真のように大半の日本人はこの写真の前にいるおばさんのような時代に、美智子様はモダンだた。だたあるよ。我輩の世代なら日曜朝のバロック音楽を背景にした皇室アルバムという番組をご存じだろう。そしてよくミチコさまが乗せていたこんなタイプの帽子も。・・・一人さきがけキャリーパミュパミュだったんだなあ。ミチコさまは。
  しかし本題はそれではない。誰も帰って来ない。我輩の「卒業」を知らないとはいえ、消えたブログに書いたように昨日いただいた山形は月山なる地ビールをいただくことにしているのに、料理人が帰って来ない限り、アテというか酒の肴がないわけである。
  実は我輩が今日はおでんをつくるといったのに、昨夜家人12連合軍に拒否られたわけである。だからムッとして今日は何もつくらないわけだが、うーん、失敗したかもしれない。ははははははは、早く月山にのぼりたあるよ。