panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

大和田兄弟のマレーシア鉄道旅をみる


  体が重い。頭も重い。朝メールを出してから、午後になって今日が3日だったと気づく。4日に函館に帰るといっているのに、もうすっかり着いてしまったかと錯覚するわけであって、なんというか、えも言われぬ芳香ただよう痴呆症である。まずいと思う。しまいにまずいという覚醒もなくなり、とうとう、、、となったときが怖い。  
  パッキャオが負けたが、勝ったほうが卑怯な感じがして、いやな気分になる。評価ゲーム?というのはスキーや柔道、体操もそうだが、精神的に負担だ。
  いま、居間では、大和田兄弟の再放映をみている。とうとうみることができた。2時間番組と気づき、さらにもう1時間を見続けることが困難で、いったん避難する。
  我輩は東南アジアものについては、意外と精神的負担を感じて、一人でみると感極まることになりやすく?、今回は、戻っている家人1が風呂に入ってしまい、取り残されたのでこうして自室に戻ってブログを書いているのである。
  ともあれジョホールバルから鉄道でマラッカに出て、またクアラルンプールに出たところだ。次はペナン島。その次はどうやらジム・トンプソンのなくなった高原のようだが、はっきりしない。そこには行ったことはない。ヒンヅー教の寺院にも行くらしいし、若干興奮するなあ。ま、録画でみるか。
  ということで、東南アジアは我輩の意外な弱点をさらけ出すのであった。あったあったあっあああ、、、、。
  河部先生の本の説明もなく、いまから居間にやはり戻ることにする。じゃ。
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ
  事後報告。行った先はイポーとキャメロンハイランドだった。寺院は見落とした。イポーからキャメロンハイランドへ。またイポーに戻ってバターワースまで兄弟は夜汽車で出るのだが、どうやらバターワースで一泊した模様。フェリーでペナン島に渡る町なのだが、ここで一泊はどう考えてもアホらしい。列車の時間のせいかもしれないが、キャメロンハイランドで一泊して朝イポーに戻ってくればいいはず。普通の旅ならそうしているだろう。
  それにしてもこの世の果てと我輩がいつも書いているイポー。結構人がいて、賑わっている。駅舎が美しいので有名だが、我輩も行ってみてきた。夕暮れ時のさびしい時間帯であったせいか、果てまで来た感が強くした。現地の人にはそうでもないようだが、矢野暢先生の本ではここに一時は何百人もからゆきさんがいたとあった。錫(すず)鉱山が賑わっていたからだろう。でも当時だって、果てしなく喧騒と悲哀に満ちた町だったろうと思うのは間違っているだろうか。