panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

1時をすぎて事務しごとが終わる


  1時をすぎてしまった。その間、ラインでタイとベトナムとやりとりしたり、スタンプを買ったり(クレヨン某ちゃんとか)、コンビニで買った長芋そばなんかを食べたりしたとはいえ、ずっと朝きてから事務仕事を遂行する。
  うーん。相当つかれた。メールをみて打ち出し、あるいは保存し、返事し、記入し、送り返し、おまけに議事録まで書いて、もう、、、。ま、午後も二件の仕事がある。馬鹿みたいだなあ。若人に学習熱はないよ。何をあせって頑張ってるの?とはいえ、なあ。
  それともあまり学習熱がなかったポキが変わっていたのか。ただ本読めればそれでよかったのに。そういう自由な時間を与えられる4年間だったのに。それを奪って学習させようとしたって、逆効果ではないか。
  でも若人にもどこか被支配欲がある。とくにうちの関係者をみていると、学習熱のあるのに限って三下(さんした)根性がぬけない。それはダメあるよ。独立自尊。福沢先生もいうてはるのに。
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  来る車中では今日はヴィヴァ君の怒りのオルランドというオペラのハイライト版を聴いてきた。だから一枚ですむ。
  昔もいまも、バッハがいなかったら、クラシックはぐっとさびしかったろうと思っていたが、いまはむしろヴィヴァ君のオペラがなかった時代が想像できないくらいだ。
  ヘンデルより明らかにヴィヴァ君が上だ。ヘンデルはどうしても暗すぎる。華麗なところもあり、古典的な様式美もあるが、ヴィヴァ君なうきうきする気持ちにはならない。
  つまらない曲想でもヴィヴァ君では聴いていられる。とてつもなく大量の旋律と独特の刹那感が相まって、ヴィヴァ君はいまやバッハ並である。あるいは、数十年間聴いてきたバッハにしばらく戻れないと思うのであった。