panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

大英帝国について昭和16(1941)年12月25日印刷の本の語っていること


  鈴木成高は京都学派四天王と称せられた哲学者・歴史家。彼がまさに太平洋戦争前夜に書いた『歴史的国家の理念』を読み直す。
  毎回飛ばす第一部「世界史と大英帝国」をはじめて読んでみて、ここまで正確にイギリスというかイギリス帝国を解剖していた人間が、世界を相手に戦争をはじめさせられた辺境日本にいたことは当然だったのか、必然だったのか、たんなる偶然なのかということを考える。
  こういう根本的な理解をした上でアラブ世界やイスラム国なんかについて分析していかないといけないわけである。・・・それにしても檻にいれて一人を焼き殺すのと何十人かの無辜(むこ)の住民を最新の無人飛行機で誤ってと称して殺してしまうのとはどっちが重大な罪なのか。これは、そしてこのことだけを考える場合、十分時間をおいてみれば、ことの軽重ははっきりしているかもしれない。数十人を殺した方を非難するほうに分がないわけではない。つまりイスラム国のやったことを一概にひどいと決めつけることはできない。もちろん全体としての米・イスラム国評価は別だが、殺人の質でなく数が政治的思考の最大の指標の一つである。皇帝ネロの殺し仕方はきわめて残虐だが(恩師の皮をはいで銅でつくった牛の像のなかに入れて下から火をたく、、、うわ!やるなよ、恩師に!つまり我輩に)、そのことはいまではエピソードでしかない。、
  鈴木は公職追放にあったのだろうか。いずれにせよ京大を離れて戦後は早稲田の先生だった。