panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ヒトがサルからヒトになった根本的な理由がヒトの最大の問題である、、、?


  ドラマといえばイギリスである。イギリスは決して衰退しておらず、産業革命があったこともいまでは否定されている。中世からつづく支配層がジェントルマン階級を近代において構成して、これがいぜん全世界に直接投資(統治ではない。それは19世紀)の網をはりめぐらし、英語が共通語であることをいいことに(インフラの独占こそ19世紀イギリス支配の最大の遺産である)、資産支配と自分の言語による他者の行動の支配を行っている(なぜこんなに英会話で苦しまなければならないのかということでもある)。
  そういうイギリスであるが、一見しただけでは英米のドラマはもう理解しがたい。明らかにもう一度録画を見直すことを前提にしたドラマづくりをしている。そう考えない限り、自分のドラマ・リテラシーの危機がやってきているとしか思えないほど、小難しい筋立てだが、やはり面白いのはイギリスのドラマである。
  「主任警部アラン・バンクス」が続けてやっていて(正月)、結局、あれほど隣人愛に薄く家族すら天国に行けたあとに、一緒に来ているかとようやくあたりを見回す、というイギリス清教徒の世界にも、家族愛が浸透しているということがうかがわれる。あるいは、家族が相当に崩壊していて、それを取り戻す一世代前のアメリカのようになっているということであろうか。ともあれ、家族愛が何回かこのドラマのテーマだった(毎回かもしれない)。でも人は離婚したり未婚のシングルマザーだったりして、もともと代表的な核家族社会イギリスの断末魔的様相という解釈でもいいかもしれない。
  しかしこの家族愛は戦後社会科学でも真っ向から批判の対象になったと思うが、これこそサルからヒトが分化する最大の原因だったのではないかと思ってみることも許されよう。核家族を形成維持する能力こそヒトの他のサルとの違いだからである。
  でもこれがフランシス・フクヤマ先生の近著『政治の誕生』の最大のモチーフでもあることは前に触れた。ヒトが近親者に財産を相続させようとする原始的本能は中国をつねに腐敗国家とし、東南アジアを奈落に落としてきたものだといってもいい。ベトナム戦争時の南ベトナムの腐敗は小型の現在的中国だった。他の東南アジアの支配層も同じことである。
  ヒトがヒトたりえた理由(家族愛というより家庭愛というべきだろう)がいまでは集団的なヒトの生存(つまり社会)をいつも不安定にする。なかなかうまくいかないものなのである。
  さて我輩も財産はないので知的教養を伝授しようと善意を発揮しているが、いぜんトリオソナタのCDは居間の机にのっている。そうしている間にも、リヒテル50枚はきたし、前古典派のオペラの競演の珍しいのもそろった。うーん。この場合、ヒトがヒトになるという問題よりも、たんにズボラが一子相伝したということが問題なのかもしれない。勤勉になれよ!!j と善意の押し売りしたりするヒトとしての我輩であった、、、、、、、、、、。