panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

安堵の週にしたいものである


  ほぼマレーシアのホテルの手配は終わった。最終日の居場所がわからないので、それは未定。いざとなったらどこでも飛び込めばいいし、チャイナタウンも待っている。でも首都に最終日前日にいるのかは不明。ま、不明・未定・非常・無情が我輩の生き方でもあるし。・・・不、未、非、無以外に事柄の否定的な面を捉える接頭語が思いつかないのでこの辺で。
  今週も建国記念日以降が怒濤である。大きく居場所が変わるというか増えるので、そのための準備にいま奔走している。詳細は省略。
  暴力史観や戦争史観などと云われるような歴史の再解釈が着実に進行している。国家の役割もそれにつれて、抑圧的な機構としてよりも、むしろイスラム国的暴力の跋扈(ばっこ)や放恣(ほうし)を抑制する歴史の段階あるいは機構として再評価を受けるということにもなる。
  イスラム国の扱いがやはりもっともわかりやすい問題となって、その評価をめぐって学問的知のスペクトラムのどこに位置するかがわかることになる。政治の秩序が崩壊したとき(いったんあった秩序が崩壊したときと書くのが正確だと思う)、一体何が生じるのかをイラクから以降の歴史は示している。どんな政治的価値よりも秩序や治安が専制的な形であれ成立していることの大切さがわかる。20世紀初頭の清朝の崩壊も、自国のみならず、日本をも歴史的羅針盤の大混乱に導いた。周辺国もしばらくはこの一点における秩序崩壊の余波をまぬがれるわけではないのであるね。
  写真のキングベッドからみえる海は、マラッカ海峡である。これを一人で占領するかと思うと、日本占領の米軍みたいなお大尽的気持ちにナルですなあ。