panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ミャンマーで爆発続く


 写真の真ん中、遠くにそびえるのがトレイダーズ・ホテル。14日夜、そこで爆発事件が起きた。ヤンゴン市内で他にも未遂を含めてあったようだし、第二の都市中部のマンダレーでもあった。うーん。どうしたことか。・・・このホテルがもっとも格式のある安全なホテルなのに。
  数日前の朝日新聞に、大統領テインセインとのインタビューがのっていて、11月には全面停戦(少数民族との)だと自信ありげに語っていたのに。イスラム系かとニュースにはあるが、ビルマ族がいまのミャンマー一帯を全面的に支配したことはこれまでなく、少数民族の実質的な領域が並立していたので、国民国家として一体化する際にはこうした事態が招来する。
  なかなかうまくいかないが、面倒だから徹底的に征伐するというやり方(スサノオのように)も、自分たちがやってきたくせに、欧米の監視の目があって、できない。でも圧倒的な武力と懐柔で、つまり雨と無知で、ではなくて、飴と鞭でやれた19世紀までの時代に秩序と安定を得た先進国が干渉するのは、どうかと思う。秩序の形成までに犠牲はつきものなのだから。
  って、いつから我輩は治安維持法支持みたいな体制派になってきたのか。・・・しかし最近思うのである。戦前の日本の治安維持法や非常時体制という暗い時代というのは、植民地になるか徹底的に叩きのめされる(欧米から)のと引き換えだったと。自由とか民主政治とか云っていた人間を「非国民」というのは、まさにいい得て妙だったのではないか。
  どの国の歴史にも暗い時代はある。国内状況は国際状況の関数なのである。国際状況の緊迫性を前にして、呑気なことを云っている人間に対して、厳しい気持ちになった官憲の気持ちも、実はわからないではない。でも、本当のところ、日本が平和に繁栄をつづける余地が戦前にはあったのだろうか。アジアというか有色人種の援護国が一つもない状態で、、、。みんな植民地だったのだから。タイは日本側について戦争したくせに負けそうになると、連合国側に寝返るのだが、そんな卑劣なタイ以外に当時アジアで独立国はなかったのである。中国は完全に分裂し、まともな国家以前の状態であった。どうしてこういう状態で日本の繁栄を欧米列強が手をこまねいて見ているということがありえるのだろうか。
  ハルノートみたいなのをつきつけられたら、モナコですらアメリカと戦争する、と国連でいったのはインドの代表だったなあ。