panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

総力戦の軍事概念的使用


  今日は少し別のところに行って、気晴らしにもなったが、仕事である。明日もまた仕事である。
  さて総力戦というと、歴史的な概念というか、戦争がとうとう到達したある種の高度な段階という暗黙の進化的な観念が強い。事実、そうなのかもしれないが、軍事論家はやや異なる使用をしているのではないかと気づいた。
  もともと戦争には対外戦争と国内戦争(内戦、内乱)があるとすると、総力戦的な発想は実は国内戦争で出てくるものなのだ。典型はアメリカの南北戦争で、ペキンパーの映画『ワイルドバンチ』で水冷式機関銃とか鉄道での兵士の大量動員・移動などは20世紀の戦争を予告している。そして南北戦争の犠牲者はいまみるところのシリア内戦?とほぼ年率では等しい。世界大戦前の現象だから、アメリカの内戦はそれまで類を見ない凄惨な戦争であって、相当ショッキングだったのではなかろうか。
  つまり歴史的には、対外戦争より国内戦争のほうが残酷だと相場は決まっていた。その一つの極点が総力戦的な殲滅戦なのだ。それが第一次大戦においてドイツが制海権をどうしても握れず、無制限潜水艦戦を行うことで、つまりそうして非戦闘艦艇を撃沈することで、総力戦的発想や理論を対外戦争に適用する端緒になった。だからこの撃沈は軍事史上の大転換となった。またアメリカは南北線の経験をそのまま対外戦争に生かそうとしたから、戦争は、それまであったタガがはずれて、異常な戦争としての総力戦的世界大戦になった。
  この軍事史的理解によれば、決して世界大戦が総力戦になる必然性はないのである。総力戦にならないように工夫されてきた戦争がむしろ歴史的な趨勢だったということになる。総力戦は敗戦国への道徳的改革志向とかいろいろ不愉快な現象をもたらすことにもなったが(普通はローマ帝国のように相手国を尊重するようにしたほうが占領後はうまくいく)、もう後戻りはできない。核抑止論自体がある種の総力戦なのだから。冷戦はその意味では総力戦の高原状態が40年以上続いたということなのであるが、冷戦後においてもやはり万が一の論理から自由ではない以上、いまでも一種の総力戦下にあるというべきなのではないかと思う。
  香港で、影の主役と一緒に買ってきた中国茶を飲む。一人で飲む。となりのスーパーが改装されて、香港で飲んできたドイツビールも売られるようになった。その一人記念。敷いているのは6年前タイで買ったランチョンマット。藁製。まだ使える。