panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

漱石、小泉八雲(ハーン)、そして東南アジアの我輩?


  協議のために職場に来た。いまはマクリーシュのライブ録音のフィガロの結婚の第二部を聴きながら、本業に関連することをしている。
  さて渡部昇一『教養の伝統について』によると漱石とハーンは似た人間だった。ハーンは非西洋文明の事象を記事にして売ることで生計をたてていた記者だったが、松江にきて完成した文明社会を、西洋世界以外ではじめて目にすることで深い安堵を得た。漱石は南画(南宋画ではない。南画は日本の江戸時代後半の人文画)と漢詩に安堵を得るような人間であった。いずれも日本が植民体制が本格的に稼働する世界に開かれることで、どうしようもなく実学的に生きるべきだということを悟っていた。漱石にとっての英語も完全に実学なのである。しかし本来的な自分のあり方や居場所は崩壊していく世界にあった。
  完成された成熟した文明が外からの力によって崩壊していくという点でいえば、東南アジアはどうなるのか。東南アジアが完成した文明であったことはない。しかし成熟してのんびりした一つの世界ではあったはずだ。欧米の植民地化は日本の朝鮮統治とはちがって、社会全体としての近代化を求めることではなかったから、21世紀になってもまだかなり東南アジアには古い生活様式が残っている。その残滓を管見するだけである種の満足を我輩は得てきた。であれば、明治初期の日本の松江のようなところを発見すれば、ハーンでなくなても欣喜雀躍したであろう。
  結局、グローバル資本主義といい帝国主義といい、各時代で言葉はいかようであれ、近代のダイナミックな世界が浸透浸食してくるのにあわせて、世界の各地は対応を迫られ、勤勉な生活、合理的な自我、効率的な生産などに勤しまなくてはならないわけだが、そうしたものと成熟した完成された文明生活は必ずしも一致しないのではないかということである。つまりウォシュレットはぜひ欲しいが(現代文明の一つの極致として)、でもこれが織りなす世界はほんとに文明生活になるのか。あるいは従来の文明とは違った文明、もう別の言葉をあてるべき文明がいまではやってきたということか。便利をとるのか落ち着きをとるのか。
  昨日はカトマンズの街歩き(NHK)を眺めながら、何となくそんなことを思う。
  写真はカトマンズ市内のようである。モツ君を聴きながらみていると結構至福である。適者生存への強迫は外吹く風である。でもオペラを自室で聴くという快楽自体が、現代文明が我輩に可能にするものなのだ。うーん。快楽が幸福とは違うものだという言い方も成り立つかもしれない。・・・ウォシュレット、石窯炊飯器、食器洗い器、、、かあ。