panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

空漠、日本


  朝から夕方5時までずっと会議をしていたので、頭はボーとなるが、もっといやなのは、日本がいやになることである。このろくでもない惑星のさらにろくでもない国の表面の軽やかさや艶やかさを支える目に見えない人間の節度だの禁欲だの自己抑制だのしつけだの我慢だの忍耐だのその他その他の自己封じのさまざまな様式は、まったくサルとしてのヒトを萎縮させてしまう。
  萎縮させられた状態を楽しむことすらヒトにはできる。これを中国人のブログは、素養が高いとかいって日本をうらやみ、恐れるが、なんてことはない、人間を無理にオカマにしているようなものなのだから、早晩、このシステムは行き詰まる。オカマには失礼だが。
  ま、オカマという言葉自体が失礼な言葉であって、そうでないときはゲイと表現するのが現代日本語である。いまの場合はどうしてもオカマでなくてはならない。
  総オカマ社会化した日本に住むまともな人間は、これはウンザリなのである。ウンザリしているのである。これが文明の最たるものなのか。文明はいらないのではないか。ところかまわず大声でしゃべりちらす中国人のほうが、このオカマと化した現代日本人より、きっとましではないか。
  ということで、また、東南アジア。ミャンマー・ポッパ山。若干不潔であろうが、このろくでもない文明化の極地よりはましだ。ましというより、また行きたい。・・・でも会議では我輩の意見はほぼ完全に通ったのである。でも何か釈然としない。、、、オカマと化した素養の高い日本人は、はっきりいって、どうしても苦手だ。