panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

あっという間に年末押し迫る


  職場で手持ちの写真が手詰まりなので、適当な写真を掲載した。内容とは無関係である。マレーシア空港であるね。きっと。
  我輩はクリスマスを終えたといえども、ほとんどアルコールを摂取せず、謹慎状態である。正月に玉乃光なるものを少々飲んでみようとか思っているが、少々にすぎない。ということで肝臓の数値がまた悪くなっているのである。ま、経過観察中であるが、医者ははかばかしく動かないから、とても大事にいたるという状態ではないので、念のため。
  ただ少々弁明しておくべきことがある。というのも日本のビールがまずいとかずっと言い募ってきたが、もしかしてこれは肝臓のせいで旨く感じられないということなのかもしれない。日本ビール党の皆さんには失礼をばしたと思う。うまいと思う人は思ってドンドン飲んでいただきたい。
  年末に予定されていた忘年会もなくなり、暇ではあるが、暇は我輩の一部である。暇でないと麻痺する我輩の心身。ま、語呂合わせであるが。
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  安倍首相が靖国参拝をし、中国は怒り心頭のようである(かそのふりをしている)。我輩はもう一度この本を読み直している。ウェーバーは中国の秦はじめ中華帝国を家産制国家として近代国家とは一線を画するものとして扱った。がフクヤマはそれが誤りで、秦は最初の近代国家だと主張し、延々と歴史をたどるのである。うーん。こっちが正しいかもしれない。
  問題は中国では政治は近代化されるが、経済でも社会でも近代化はしなかったという点である。経済の近代化とは資本主義化であり、社会の近代とは部族社会(部族主義、親族社会、家族社会)の克服である。近代化した急進的国家である専制帝国の下で、部族が入り込むというスタイルの政治が横行する。現在の共産党も同じ支配の問題を抱えている。賄賂、腐敗や縁故主義などがそこでは最大の課題となるわけである。
  フクヤマは経済、社会、政治、文化を分けることで、政治の近代化として最初の近代国家秦を捉えるという、我輩の知る限り、ウェーバー訓詁学しか知らない日本の学者たちを尻目に、独創的な見解を示しているのである。うーん。うーん。うーん。・・・便秘ではないので念のため。