panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

罪悪感な一日


  その後、空は晴れ渡りつづけ、夏のように暑くなり、実に遺憾な午後だった。これでほんとに仕事はないのかと思うと、たまらなく居心地が悪い。そもそも予定していたスライド大会についても、家から会場になるところの責任者に何度電話しても出てこず、つまりは出勤しておらず、部屋を使用することができないようなのである。もう一つの5時近くの会合はやってもよかったが、出欠の確認をすると何人かは出られないようでもあって、中止のままに、時間はすぎた。
  うーん。台風の目をすぎると、もう風は吹かないのか。台風の目はでかいなあとか思っていた我輩はバカだった。昼顔の我輩は。いや昼頃の我輩は。
  午後はどうしても一冊法制史の本をコピーしたいと思って居間にいたのだが、ただコピーするのも愚の骨頂。テレビをつけると、もう30年も前の『スカーフェイス』。我輩がロンドンのころに封切られた映画。アル・パチーノだしこれまで一度も真面目に見なかった。アメリカギャング映画ははっきり云ってまったく興味がない。
  ゴッドファーザーも第1作は高校くらいのときにみたが(大学?)、マーロン・ブランドーが撃たれて逃げる八百屋の前のシーンにおける足さばきが大御所蓮見重彦先生に論評されていて、どうしてこうやってみるのかといたく感動するくらいで(つまり偉いと当時は思ったわけだが。大人しい人間だったもので。今から考えると蓮見先生の世に出るための商業政策だったように思える)、今回途中からしかし全部見てしまった。
  写真は金→力→もの(名声、金、もの、その他)という映画中に出てくる表現をとらえたもの。これがキューバ移民のアル・パチーノアメリカ認識だ。なんとなく裏社会だからこう捉えるのかとか思ったし、これに限らずそのように認識してもきたのだが、もしかしてこれがアメリカ社会の正道の夢のかなえ方(アメリカン・ドリームっていうあれである)そのものなのかもしれないと思いなおして、全編を見ることになってしまった。
  通常、比較的安定した長い伝統と誇るべき歴史をもつ社会においては(だから誇るべきものをもたない社会は歴史を捏造することも多々ある。中国韓国はその代表ということになるだろう)、むしろ正規の地位(名声の一部に属すもの)→力→金という順序でことを考えるのではないか。成功を。
  あるいは、アメリカン・ドリームの終着が名声なら、最初から地位をめぐる(制度化された)競争が用意されているとすると、そこである意味おしまいになるということなのではないか。金も力もついてくればうれしいが、さほど執着しない終着となるのではないか。
  しかし地位を出発点にできない移民とおそらく万人に評価される地位の体系をもたない若いというか広大荒涼たるアメリカのような国では、金がすべての物差しになるということでもあって、それがこんないびつな人々を生むということでもあるだろう。
  移民社会としてのアメリカはいぜん移民社会である。中国韓国はたくさんの移民をアメリカに送っている。とくに韓国では中産階級の移民が多いことで有名である(と思う)。中産階級が移民送出の主体である国というのは悲惨の一語につきるが、そういう国なのである。中国は下層と上層が同じ中国人意識をもたずにアメリカに渡るのであろう。
  こういう国(文脈からだと中韓のようにみえるが、アメリカ)のやることを素直に聞いてきた戦後の日本人というのは、考えてみれば、不思議な国民である。儒教なしに立派な儒教理想社会をつくりあげた日本がなぜアメリカをモデルにしなければならなかったのか。・・・戦争に負けるというのは、いやなもんである。
  そもそも儒教社会で儒教が理想的に成立した国はない。不思議ではあるが。そういう国は極端な身分社会になるか、人心荒廃国家になるかである。儒教への反発が日本では儒教理想社会をつくるわけである。
  ともあれ、アル・パチーノが名優だということはいやでもわかる。大いに苦手だったが、映画に引き込まれたのは彼の演じ方が迫真的だからだし、監督のデ・パルマもこれが一番よくできた映画なのではないかとすら思う。
  しかもスカーフェイスは暗黒街の顔役(H・ホークス)のリメイクなのだが、原題がスカーフェイスだった。実名のギャングの名前かニックネームらしいのだが。うー、怖いやつだぜ。スカーフェイス