panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

3月、雨、寒、そして休息


  というわけで、家人2のほうと休息をとっているが、最終的には文科省、端的には大学基準協会という天上の命令によって、家にいてもさまざまな手直しを求められる。完全な休養はないのである。急用でもないのに次々と細かい、バカらしい、アホみたいな(って同じか。アホじゃね?)指示が下されるのである。ユダヤ人なら出エジプト、我輩は出文科省の旅に出たい。
  映画の時代は終わったのであまり興味がないが、英語の学習でローマの休日をみている家人2。ついでに少しみると、うーん、細かいショットで人間の機微を表現している。監督はウィリアム・ワイラー。正確にはなんというのか、ヴィルヘルム・ヴァイラーなのか。実にうまい。こういう人間の細やかな心情を構造的に表現する技術が映画の面白みだったのだということに気づく。
  思えば、最初にローマの休日をみたのと同じ日、中学生か高校生の我輩は、ベン・ハーも見たのである。別の映画館で。ハシゴしたわけである。そして、映画に没頭することになったのである。
  どっちもワイラー。人間の心が描けているところに面白みがあったんだなあ。70ミリ映画のベンハーにも。とはいえ、地方のリバイバル上映。70ミリでは見ることはできなかったのであるが。
  その頃、よくテレビに出ていたハンサムな高城丈二という俳優。どうしたものかと思っていたら、ウィキで確認してみたら、体調をくずして引退していた。こういう大人の俳優がいなくなり、そして定置網の漁師のようなエグザイルが跋扈するということになる。うーん。漁師なら海に出て漁をしたらどうか。出海だよ出海。