panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ビールを飲めない者に楽しい夜はない


http://p.booklog.jp/book/81270/page/2069594より転載)
  昨日は午後は雨模様だった。でも土曜日に映画が変わるので無理して行ってきた。『鑑定士と顔のない依頼人』。分厚いヨーロッパ文明の層がまぶしい。最後までどこが舞台なのかわからないが、トルナトーレ監督だからイタリアなのだろう。言葉は英語。そしてプラハが出てくるが、これがまた、まことに美しい。
  ネタバレになるので映画についてはあまり触れないことにする。でも一度ご覧になるのがいいのでは?ハンナ・アレントの映画の比ではない。ニューシネマパラダイス海の上のピアニストもちょっと?と思ったが、この監督の、我輩の見た限りの一番の傑作ではないかと思う。英国王のスピーチの指導役のなんとかラッシュが主役。
  終わってから独身者の夜(家人は二人ともいないわけで。・・・なお家人は辞書ではけにんと読み、家来や奴隷の意味だった。我輩は気持ちとしてはカジンと読んで、家族のつもりだったのだが)にビールの一杯もと思うが、できない状態であることを自覚すればするほど、巷の風景が幻想化していく。たとえば、この伊勢佐木町
がホフマン流の世界のように感じられる。
  ともあれ、この映画の文明的背景とこの居酒屋の文明的背景の質の違いが一層顕著に胸を打つ夜だった。・・・しかしヨーロッパ文明をよしとしてだけ思っているわけでもない。ヨーロッパや中国などの文明は富の圧倒的偏在を前提にしている。美術品がヨーロッパの普通の庶民の家庭にあるわけではない。文明の層の薄い日本の文明はこの偏在が極力抑えられている。天皇はかつてもっとも富の貧弱な王であった(戦前はロックフェラーに次ぐ世界第2位の金持ちだったのは、日本のGDPをすべて天皇のものと扱ったからであろう)。そういう世界は一般の人には住みやすい。そういう住みやすさがこの居酒屋なんだろう、、、と思うことで、トボトボ帰って来た。なお途中で佐藤健志の『夢見られた近代』を500円で購入。値段がついていなかったので古本屋が安くしてくれた。東大教授佐藤誠三郎の子息である。MITで政治学を学んだ評論家。ゴジラ論以来はじめて読む本だなあ。