panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

忠君愛国、富国強兵、立身出世

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  雨である。先週も週末は雨だった。

  最近閉じ込められているのでブログに書く頻度が増しているが、いかんせん読書日記にしかならない。

  昔、三谷にしたがって卒論を書くことを断念した学生がいたので、今回いくつか新たに読み直してみた。自伝みたいな本もあって、というか最近出て、背景も理解した。

  いずれにしてもごく普通な維新理解だが、これが異端だったわけで(三谷自身は東大名誉教授)、日本史研究の程度の低さを思う。

  さてこの明治のキャッチフレーズ3つがたまたまある文章にあって、この関係は、富国強兵が国家全体の目標(北朝鮮風にいえば経済強国と軍事強国)、立身出世は脱身分制化のもとでの個人の生き方の新しい目標(個人主義)、そして忠君愛国はいまでいえばナショナリズム涵養ということであって、これは社会の目標とみると、愛国は個人の目標と国家の目標をつなぐものということができる。

  三者はうまい具合につながって、臣民となった明治以降のわれわれの目標となってきたということである。こういうキャッチフレーズをうまくつるのが日本は昔から非常にうまい。東北震災後に「花」という曲が出てきたのとなんか似ているかと思うが、こういう感動的な曲や麗句には注意しよう。

  ただし、いまではこの三者がいずれも公式には否定されるかのごとくであり、いわばそのネガだけが目標とされる逆転が生じ、少しでも明治以来の目標に近いものが出てくると、ただちに批判と是正が生まれ、それが普遍主義的な言論と主張するどこにもない言説(リベラル言説)によって支えられて、迷走するという形になっている。

  先進国すら柔らかい全体主義に傾斜している時代に、これほど国民を動員する力のない国家というのは、どんなものなのかと思いつつ、6階の窓から外をみると、遠くまで誰も歩いてはいない。これはもちろん、雨だからである。

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