panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

「侮蔑者の智慧」

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  表題が切れているが(みえているのは副題)、これは西尾幹二の『自由の恐怖』という本の、表題名のエセーである。小さくてわかりにくいなら、買って読んでいただきたい。

 彼は「生にむしろ少し退屈している」と最初の頁で云っているが、ポキはもう少し退屈しているかもしれない。しかしその点が重要なのではなく、自由とか未来とか確信的な革新への意欲などへの懐疑と侮蔑がよく書かれている。

 保守思想はヨーロッパ史のなかではフランス革命のあとで定式化されるもので、順序としては革新(自由主義)のあとである。その意味では言説としての保守もまた、近代的なものである。その意味で近代を丸ごと否定するものではない。ただ、未来や改革をそうやすやすと行えるはずはないというのが基本的前提で、そういう姿勢を一貫することでなにか現状維持的に見えるということになる。でも、いうまでもなく、集団的現象がそんなに簡単に予測できるはずもない。

 社会も国家も制度も人生もある種の集団的現象である。慎重になることが必要だと最近ますます思うようになった。あ、昨日の「時効警察ふたたび」のように、ありきたりな感想を書いてしまった。