panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

シリーズ佐々木君の佐々木君は生きている


  佐々木君はいま現在も存命中である。と、、、何となく思う。いっこうに亡くなったという知らせはない。同級生だった中野君が存命か心配しているくらいで、亡くなる人は若いうちに亡くなり、その後中学時代の同級生の死亡の知らせはとんとない。だから、きっと今日もひどい道を走りながら、どこかで佐々木君は生存しているはずである。
  さて優等生だったポキはよく担任から佐々木君をさそって学校にくるよう云われていた(つまり同じクラスだったのである)。行き帰りにたまに寄ったのだが、そのときは佐藤君と一緒だったことが多かった(いずれも実名。だからといってあの佐藤でもあの中野でもない)。
  ある意味当然ながら生活リズムの乱れた佐々木君はよく今日は学校に行かないといい(それが優等生ポキにハンマーのような驚きを与えたのだが、家庭環境からいえばそうなってもおしかくない)、不機嫌な様子でわれわれに対応するので、あまり熱心にさそうのは嫌味だと思うようになり、たまに行くことになった。ご飯の残りを捨てたのが家の台所前の側溝のようなところにたまっており、それが蛆虫のようにみえたことは今でもフラッシュバックになって思い出される。汚らしいことおびただしいといえるものだったが、中学生と小学生が二人でご飯を炊いていたのである。今から思うと、同情のかけらもない、酷な印象だったなあ。すまん。
  ポキはそれほどお茶漬けなどが好きというほどではないのだが、しかし、それはそのときの光景が、つまりお茶漬けのご飯がそのときの水に沈むご飯粒を思い出させるからなのである。これははっきり自覚的にそう、長年思っていて、遺伝ではない(母ユリはおじやが嫌いである)。
  ポキがオヤジが嫌いなのは当然社会化された後の観念総体の判断だが、おじやが苦手なのは(だからといって食べないわけではない)明らかにこのとき植えつけられた場面の印象が大きい。
  いずれにしてももどってきた佐々木君はポキたちのクラスに入り、佐々木君はもらわれた先の駒ヶ岳山麓のいろいろなことや大人びたことを雄弁に語っては、しばしクラスの中心人物の地位を確立することになったのである。体育館で彼の嘘っぽい話を聞いたりしていたときの斜光が鮮烈に思い出されるから、中1の秋口に彼はもどってきたと想像される。なぜそんなことが記憶のなかに焼きついているのだろうか。
  なお写真は佐々木君とは無関係です。関係はしないが雰囲気はこうだったかもしれない。
  またなおだが、ネロメ・シリーズもさきほど考えてみたが、ネロメで思い出される事柄は一つもない。新しい、新鮮な、新奇の、新規な名前である。ネロメ。ただしタカハシ、フクヤマ、クサノ、シオノ、コショウ、コジマなどシリーズ化してもいいが、いま一つインパクトに欠ける思い出しかない。