panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

シリーズ佐々木君・・・もんどりうって倒れる父


  台風12号は去った。そして、新しい自宅のパソコンで、しかも少数の親指シフト愛好者を裏切って、アルファベット入力をしているのである。windows10があまりに自分勝手なので、オアシスという親指入力用のソフトを入れて、また立ち往生したくないからである。怖くて震えながら、いま、若人たちの「書け」圧力にこたえんとするポキ。何という英雄主義的ブログなのであろうか。
  さて佐々木君は今風にいうと孤児だったが(当時も孤児だったもしれない。当然だが)、母が先に亡くなったと思う。ポキは彼の母については知らない。父は、今はそう云ってはならないが、アル中だった。たまに路上で寝ていたという話を大人たちはしていた。決して涼んでいたわけではないことは云うまでもない。
  しかしその理由は、早くに妻を亡くしたからだった。自暴自棄になっていたんだと想像できる。そういい、同情しながらも、若かったマイ・ママこと、ユリはそうであってはいけないという暗のメッセージをポキに送るのだった。それを敏感につかみとったポキも道徳的態度をとることが多かった。冷たい優等生だったのである。
  しかし今から思うと、たくさんの子供を残して死んでしまった母親が不憫だし、さらに一層佐々木君の父のことが不憫である。まことにかわいそうだなあと、102歳になればだれでも思う。ポキも同じである。でも貧乏で生活態度も思わしくなく、酔ってはもんどりうって倒れる大男を遠くから見ながら、心の宮殿における道徳執行委員会名誉総裁だった小学生のポキは心で断罪していたわけである。判決即死刑執行はポキのモットーだった。
  しばらくして残された父親も体をこわして亡くなり、佐々木君はどこかに、当時風にいうと、もらわれていった。そして彼らのことを忘れかけたころ、中学生になってしばらくすると、彼は小学生の妹とともに戻ってきたのである。二人は古びた家で実質、二人で自活を始めたのである。、、、こうして佐々木君と我々は関係を復活させることになるのである。