panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

物(もの)い出としてのミノルフォン


  物によって昔を想起するということで思い出よりは、物い出という言葉を案出する孤独な通勤車中。ミノルフォンとは、作曲家遠藤実先生のつくったレコード会社である。
  だから演歌の会社なのだが、ミノルフォンが出した演歌歌手のハワイアンをききながらやってきた。笑える前に、理解不能でもあるが、しかし確実に違和感はない。そんなポキなのである。津軽の海をこえてやってきた実績があるわけなもんで。・・・???
  今日も今日とて仕事である。事務。雑用。いやよう、ではない。いやようだが。もちろん今様でもない。今半でもない。すき焼きを食べたいわけではないからである。
  ということで、物、この場合はEPレコード(45回転の3分半くらいの音曲のレコード)のコブシのきいたハワイアンから、遠藤実先生を思うのであった。
  しかし遠藤実といえば、こまどり姉妹。たまにうちの横浜の区民会館にきて歌っている。いうまでもなく聴きに行く気はない。しかし、こまどり姉妹がきたのを知ると、遠い小学校時代を思い出すのであった。
  それにしても本州の冬はこれは春である。ちょっと寒い春。北国の春はこんなに暑くはないとすらいえる。北国の冬はしぶきも凍るキタサンブラック的な冬なのに、この暑さはなんだ。と思うと、同時に、大泉洋的呑気さがなぜ北海道の厳寒から生れてくるのか、とも感じる夕刻4時。
  しかし、演歌の時代の日本人がなつかしい。その当時はなんとも思っていなかったが。思うことになるときは、思われる対象はもう当の昔に消えているのである。いかんともしがたく、物が思い出化していくのはそのためである。物い出なのである。
  もう一つ会議をやって帰宅である。むなしい。グローバル化する平成に対しても、いつか物い出化が生じるのだろうか。ないような気がするが、昭和の当時だってそんなことはないと思っていたのだが。


  久しぶりにモーツァルトピアノソナタを聴きながら。ワルターギーゼキング
  ギーゼキングのテクニックはほんとに見事だ。
  それにしても、遠藤実先生のお顔はいいお顔だ。昔はそんなこと1ミリも思ったことはないのだがなあ。