panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

永遠の青春としてのシューマン


  今日は国民の祝日である。レコード芸術11月号を読んでいると、仲道郁代シューマンのことが話題になっている。買いたいが、中古で安くなる日は遠い。新品を買うほどシューマンに困っているわけではないし。というよりシューマンは余っている。
  交響的練習曲は別にして、幻想曲については学生のころはリヒテル、その後はホロヴィッツがいいと思っていたのだが、新しい演奏で、仲道先生いうところの永遠の青春としてのシューマンを改めて聴くのもいいかもしれない。
  仲道先生は夏ごろにショパンのが出て、これらもよかった。知性的だし力強いピアニストで、むしろ外見で損をしているのである。本格派といえるのではないか。
  しかし永遠の青春とは云い得て妙である。たしかにシューマンこそ未熟性も含めて、青春の音楽だ。バッハとならんで。
  シューマンだからでなく、人類史最大の傑作となる演奏は前にも紹介したが、これである。これ以外にはない。ホロ君のクライス。