panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

世界に一つだけの花


  スマップはこの曲で国民的アイドルになったように思うという話は前にしたかもしれない。それはこれが禅の修行の末に得るべき境地を示しているからである。
  昔、ポキは結構絵がうまく(つまり優等生は絵も描けるという通念のもとにあったもんで)、美術の教師の薫陶を受けていたが、しかし一向に理解できなかったのは、よく見ろということだった。これも前に書いたなあ、きっと。でもそれはそれとして、ポキは形をとるという課題に翻弄されて、なぜそこに確実にあるものをよく見なければならないのか、さっぱりわからなかった。
  その後、セザンヌはじめ、多くの絵描きがこれを実践し、一生かけてものを見ていることを知るわけだが、実はそういうことを通じて何をいいたのかがようやくわかるようになった(と思う)。
  花は花であって、花ではない。そもそも花は花ですらない。この花は花といった瞬間にその花でなくなる。・・・といった問答を禅の達人たちは教育的文脈でしていると思うが、これもよくわかる。不立文字というパラドクス(だと思うが)の意味もよくわかる。
  存在の一回性への覚醒が禅とその思想的継承者であるその後の日本文化の根幹にある。政体の民主性(日本型民主主義と丸山真男が呼んだもの)もその一面なのである。
  ということを思い出した一日。