panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

武闘派スポーツの闇

https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=sdT3wdb1&id=875815F4F68B543CB27AE860FCAC276503037142&thid=OIP.sdT3wdb1D01peZMJi-5KeAHaE7&mediaurl=https%3a%2f%2fcdn.4travel.jp%2fimg%2ftcs%2ft%2falbum%2fsrc%2f11%2f01%2f44%2fsrc_11014495.jpg%3f1432700129&exph=853&expw=1280&q=%e3%83%9e%e3%83%8b%e3%83%a9&simid=608040936342424968&selectedIndex=135&ajaxhist=0
  今日はまた電車通勤を敢行したが、昼に近い時間帯だったので、シュールレアリスム的な真昼の沈黙を味わうことになった。ようやく着いた、閑散とした構内では、人影はまばらで、まるで深海を歩くような遮断感と倦怠感である。一歩ごとに潜水夫の重荷と孤独を感じる。これは異常ではないか。この天気は。東京って、いい季節、ないんじゃね?
  アメフト(日大)とボクシング(アマチュア)とレスリング(名古屋の方の大学)、古くは角界(相撲)と、いろいろ肉体武闘派スポーツの闇が明かされつつあるが、スポーツ万能のポキとしては、笑いがこらえきれない。いや、スポーツ万不能の誤りだった。そういうポキがみるところ、自分の得意なものこそ人生を送る上では危険なのだということをまざまざと示している。人より抜きんでたものがあることがその能力(この場合は端的にまさに赤裸々な力)を特権視させ、しまいにその能力を軸にした厳しい秩序を生むにいたるのである(丸山真男の言葉でいえば、「抑圧と暴力が伝統化」された秩序か)。
  したがって知性に得意を見出すものは、武闘派と同じ、また闇を抱えることになる。だからむしろ得意のないもののほうが全人生的には優れた人間となる可能性を含むといってもよい。
  100年以上生きていると、ようやくその辺の機微がわかってくる。ポキもそれを2年ばかり超過したにすぎないが、そんなふうに思うのである。
  今日はお祝いなので電車できたのだが、しかしひどい八月だなあ。北海道でも30度を連続してこえているらしいが。クーラーなんか普通の家庭にはない30度越えである。絶望というのはこういうことをいうのだろうか。むしろ35度をこえた東京で裸になってクーラーの横に座っているポキのほうが絶望度は弱いかもしれない。とすると、真の絶望的状況は北海道なのか。まるっきりであるなあ。日本の夏。緊張の夏。・・・て、古いかしら。