panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

仮設住宅で生き延びる

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  ただ家にいるだけで絶望感がつのる、という新奇な経験に耐える日々だが、まだ生存している。しかし時間の問題ではなかろうか。明日からは、ポキの方が正規の仕事が始まってしまう。ポキ担当分は来週火曜日からだが。この重複は痛い。

 リフォームは延々続き、素人みたいな技術の職人なのか工員なのか社員なのかによって遂行されている。かくて延々と、不満の晩夏(不満の冬は有名なイギリスのストがあった冬を称する言葉)はつづきそうである。

 書くことがあって書こうとしたが、うん?、思い出せない。

  思い出した。革命や体制変革があっても、同じことが生じるということを韓国のことで思い出したということである。

 「(586世代は)民主主義に貢献した世代だが、既得権を握ったあとは子どもにそれを譲ることに罪悪感をもたなかった。それが86世代の偽善であり限界だ」
 「チョ・グク氏も既得権層であることがわかるとともに、はっきりしていなかった韓国社会の差別が鮮明に見えるようになった」。

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 これがフランシス・フクヤマのいう政治体制最大の課題としての「家産制の復活」という問題なのである。あーあ。変化とか変革とか言ってる人間のやっていることは1949年成立の現代中国をみればもっとわかるわけだが。ソ連だとノーメンクラツーラという階級に結実したし、血への執着をいかに断つか、という問題を🐵としての我々はいまだきちんとは克服していないということなのである。