panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

戦士の休息、先生の脇息


  前にも紹介したが、しばたはつみ。そういう気分である。戦士には休息を、先生には脇息(きょうそく)を。脇息というのは殿様なんかが腕を置いている昔のひじかけ。
  柴田は罪、じゃなくて、しばたはつみを思い出したのは、豊田真由子に似ているかというのもある。似てないか。ある第3項を置くと、似ているはずなのだが、それはご提示できない。ポキが舌を噛んだことにも遠く関係しているようにも思えるが、果てしなく。
  都議選の圧倒的な小池支持が低い民度の高ぶる心を表現しているとすれば、世界くまなく民主主義の末期症状を呈しているということではないか。もうソフトな身分制を考えるべきときではないか。国民に政治をまかせておいていいのか。国民主権が戦争なり、資本主義苛烈化の促進要因なのではないか。と思えてくる夕刻。
  なんだか一日、悲しみの色がみえる日だった。脇息で溜息をつく。そんな月曜日。事務仕事を大半していたが、それもまたもの悲しい。早く来い、退職と夏休み。

  低きに流れてミャンマーの鉄道をみる。下川裕治先生。ひどいなあ。この路線をこのそくど?しかも視聴回数が14回。6月20日にアップされたとはいえ、回数低すぎ。