panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

昼にそばを食べてへこたれる


  建国記念日というのか。今日は休みである。昼家人1と鴨南蛮をたべて、もたれて撃沈。いま4時なろうとするころ、やや回復。函館のおじの誕生日だが、☎もしていない。
  自分の幸運だった(ろう)人生の一つは奨学金は返還する義務がないことだった。教職について15年くらいたてば、もらった(借りた?)カネは自動的に消える。ところが、これを読んで、自分がいかに幸運だったかわかった。興奮ものである。つまり場合によっては返す義務があったのである。
  http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20160211-00054313/
  博士号をとって2年間は職がなくても育英会というかつての奨学金といえばこれという制度において返還義務はないが、2年間をすぎると早速返す義務があったのである。我輩、これはまったく考えていなかった。当時は大学院はすなわち教職だし、それ以外の道はなかったのだから、当然のごとく、大手をふって、もらった(借りた?)金のことは無視していたのである。オーバードクターは経験しなかったというもう一つの幸運がここにはある。
  先日、整理していたら、もう返還の義務はないというはがき大の通知標がでてきた。とっておいたわけである。そしたら急激に記憶がある程度よみがえり、就職後、毎年、在籍確認のようなはがきがきていたことを思い出した。それをただ送り返したのか、思い出せないが(大体がすんだ事はなぜか忘れている事が多い。なぜ?)、手続きはきっと簡単で、そうして儀式のようにやっていた。いまから思えば、もし途中で職を放棄していれば、返還することになっていたのである。・・・若干の冷や汗。
  そういえばいま思い出したが、この記事にもあるが、向かいの先生はこの2年間の猶予のみなからず、教職についても返還する義務があるという事態の犠牲者で、たしか返したと言っていた。といまさらながら思い出した。思い出したといっても若干不確かだが、そうだったのではないかと思う。という程度にはいえる。
  いま奨学金が借金になって社会にでる学生がたくさんいるというこの記事にはだから驚愕するべきではなく、もっと前に知っていたはずなのだが、喉元すぎれば熱さを忘れというか、そもそも我輩には熱さがなかったわけで、それでも改めて日本文教行政の低劣さには、うんざりするのであった。
  若干、わかりにくいかと思うが、自分一人でできるもん、と思っていた背景には、こうした公的支援が確実にあったことを云いたいわけなのである。年寄りは回りくどいなあ。・・・年寄りの回りにくどいヒトが多いという事ではなく、年寄りが、ってこれもくどい。