panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

60度のお湯は入れない


  間違って60度のままお湯を入れて適温にするのに骨を折る。表現がまずいが、ほんとに骨を折ったわけではない。100年も生きていると、お湯を薄めるのに骨を折るそれ自体を実践するボケがはじまるのかもしれない。まだそこまではいかない。
  昼間、我輩に与えられた一時間半の時間×3で、人より2倍はしゃべるので、疲労困憊する。ゆっくりした話を聞いて、我輩が退屈しなかったためしはない。でも人は我輩ではない。もしかして、早くてまったく何も理解していない可能性もある。各駅停車が好きな人間もなかにはいるだろう。でもそれだとしゃべっている我輩自身が寝てしまう。
  さてパリのテロについて、我輩は今日は3度しゃべったが、過激だったようで、シールズ勢力に殴られるかもしれない。聞いているなかにその一員が、ちょうどフランス社会のシリア難民をよそおうテロリストのように、潜伏していたかもしれない。しかしである。白人は大げさだ。自分たちがやられると怒るが、100人ならシリアで3回のテロで亡くなる人くらいではないか。何度シリアでテロがあったと思っているのか。そしてなぜ縁も縁(えんもゆかり)もないフランス人にしおらしく哀悼の意を捧げる必要がアルノか。フランス人が不平等条約をせまってきて明治の日本は困ったではないか。
  何がパリだという気がする。シリアの死者の一年単位の総数は実はアメリカ独立戦争より低い。我輩の算定だと。あっちは4年続いた。シリアはもっと続けば総体としては多くなる可能性もあるが、劇的状況という意味ではアメリカのほうが過激だった。しかも内戦だ。戦争ではない。白人がご立派なわけではまったくない。
  CNNがなかったからアメリカの内戦の残酷さはもう人は忘れてしまう。日本の戦国時代だってCNNが報道していれば、アジアのサルどもはやはりバカですなあという感想をもって欧米に報道されていたろう。100年も続いたわけだから。ということはシリアに干渉しないで自力で平和になるまで待ったらどうだろう。せいぜい30年というところではないか。これは一つの地域が完全な平和にいたるまでの期間としてはむしろ短い。日本は繰り返すように100年。ヨーロッパは500年かかった。