panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

怒濤の一週間になるだろう


  今日もすでに職場だ。金曜日まで怒濤の日々を送るだろう。普通?。ま、いいか。というか、そうなると怒濤とはいえなくなる。というべきか。あるいは、普通の人の日々の生活が怒濤化しているのであって、むしろ我輩の平板な生活こそ、普通なのではないかともいえる。これをある労働社会学者は「普通のための猛烈」とかつて呼んだのである。
  そういう彼もきっとそういう猛烈人生を送ったのかもしれないが、言行一致、質実剛健、九条違憲をとなえる我輩である。人のいったままをそのまま実践するという盲目的イデオロギッシュな男。ゆえに一人今週は怒濤だとつぶやくのであった。
  怒濤である。どとう。おとうではない。おとうはお父だ。オトゥールはピーターだ。・・・お後がよろしいよう、、、のか。