panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

怒濤の一週間はじまる


  日曜日の朝。本日は職場である。マーラーの一番を全曲聴けないほどの時間で家から到着。晴天。北海道は荒天と聞いた。
  今日から一週間、プラスその後始末数日という怒濤週間に入った。通常はそのまままた事務仕事の二月後半となり、そしてまた同じようなことをややして、年度末を迎えることになる。マレーシアが入ることは今年の救いである。・・・救いになるのか。救い出される側にまわるのではないか。マレーシアはイスラム教国である。
  今朝、後藤健二氏の殺害を朝5時のラジオニュースでうつらうつら聞いた。ずっとその速報が連続的に流れていた。
  木曜の夜の会合で、湯川氏が実は女性になっていたことをはじめて知った。我輩以外は全員知っていたようだから、国際政治専門の話し手だけの独占情報ではなかったようだが、仰天してしまった。だからかえって彼というか彼女の情報は控えめにしか出てこなかったようである。
  対して後藤氏については扱いが違う感じだが、見るからに惜しい人物をなくしたという気持ちを首相からしてもっているようなのだが、この事例は保守的な比喩でいえば、スキーで大怪我を負うのはスキーができる人に限られる、という加山雄三が北海道か新潟かで大怪我をしたときに我輩が思ったことを思いださせる。車椅子に座るのがスポーツ選手になるのと同じ理屈だが、世の中はこうした矛盾から出来上がっているのである。・・・ちなみに雪国育ちの我輩も昔はスキーをしていて(好きでというより、張り合って)、小学生のとき膝に怪我をしてリハビリが大変痛くて、その後はしていない。そのときから足が延びないのではないかと疑っている。、、、日本のロートレックと呼ばないように。
  何もしないでいるのがいいわけではないが、親の気持ちになってみると、複雑である。こういうのを「じゃりんこチエ」では、「死んだふりしてビクトリーする」と表現するんだったと思いだす。