panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ありがとう、弾厚作


  今日もいい加減暑い東京の中心で、仕事と仕事みたいもの一個ずつ。
  いろいろあって終わって、つのだひろのFMを聴く。弾厚作特集。5時過ぎの港区。
  弾先生、小学校高学年の頃に流行っていたのであるが、従兄弟の家でよく聴いた。従兄弟の家には年に何回か行くのだったが、広い農園付きのでかい家で(というか母の実家なのだが)、従兄弟は一人息子で、甘やかされていたので何でももっていた。ビートルズも小学校時代からこの従兄弟から聴かされていたので、我輩、アイフィールファインなんて今でも渋いと思う名曲のドーナツ盤なんかをもっているのである。他にも貴重盤が何枚もあるが、あれ、果たして実の母はそれを保管しているのか。例によって発作的に捨てているのではないか。ふふふふふふ、ふと、不不不安。
  従兄弟は50台初めになくなってしまった。脳溢血だった。残された家族は広大な田畑とともに離散してしまった。もう何もない。残った地所には病院と薬局が建っている。しかしそこは家のあったところであって、フランスのブルジョアが楽しんだような?田舎のかくれんぼのできる梨園も栗林もどうなったのか。母も知らない。何かヤクザ絡みの喪失であったようである。
  さてそういうわけで弾厚作は当時は才能が輝いていた。しばらくして彼のことを忘れたころ、北海道のスキー場で大怪我をしたとニュースでみた。父親の問題とか破産とか、人の一生にはいろいろなことがある、と子供心に思ったものである(でも我輩は当時すでに大学生くらいだったかもしれない。ま、心の成長は時の年輪どおりにはいかないわけで、いまだに我輩ときたら、、、、)。
  なぜ加山雄三の写真が?って弾厚作は加山先生のペンネームでしょが。