panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

南進の系譜


  色が前の椰子の写真と似ているので、あげてみた。
  悪名高くウィーンに散った、きっと天才的な才能だった矢野暢先生の新書二冊をまとめて大きな本につくり直したもの。ようやく届いた。
  暇があって気分がむけば、我輩はこの元京大教授の本を集め、読んでいるのである。もう亡くなってかなりたつから古本は安い。でもいまでも刺激的な指摘が山のようにある。というかこういう学者は東南アジア研究では珍しいのではないか。非常に才能豊かであった。鋭い指摘はかなり独自な社会科学的把握力を感じさせる。もっと天才と凡庸のたとえでいえば、東南アジア研究は後者の住処だったはずなのに。
  でも前にも書いたはずだが、生前は、上から目線男だったから、我輩にはよく真価がわからなかった。劇場国家論の解釈も明らかに間違っていたし、頭悪いんじゃね?くらしいにしか考えていなかったもんなあ。申し訳ない。当時、東南アジアに興味でもあれば、彼のその群れのなかでの突出した力を評価することはできたのに。
  ということで東南アジア研究の基本文献というこの本。これを手にして思うのは、というか、よくときどき(?) 思いだしているわけだが、当然、このブログにも何度か(も?)書いたかもしれないが、ラオスの山道を米をしょって歩くラオ人の姿である。東南アジアの原風景。バスで追い越して後から思う。あと5キロ歩いても集落はないんだなあと。近場の東南アジアとしては北海道の開拓農民についても同じような連想が働くのだが。似てないけど。
  とすると、貧しい苦しい、でも笑顔というのが好きなのか。共通点?