panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

社会は近代の幻想である


  今日は必要があって電車でやってきたっすっ。そしたらすっ、乗り換えのバスで土産のロールケーキを忘れてタクシーで追いかけたっす。これって買い直すくらい金がかかったから、ふふふ、豪華なケーキになった。とはいえ人にあげてしまった。老人っていやあねえっす。
  回復した。しかし職場はひっそりしている。でも穏健といっているが、過激なN派の襲来があるようである。おちおちのんびりしてはいられない。いつ来てもいいように、机の上は片づけよう。
  社会と国家に関してレポートを書かせようと思って、本を選定していたら人類学者の書いた社会論がなかなかツボをついていて、ま、それに気をとられてバスに物忘れしてきたわけだが、これは一種の総合的な社会概念の誕生と変化の概説であるから、これにしようっとっす。問題は国家だなあ。国家についてはいつまでたってもいい本が出てこない。
  午後1時半。写真は面白半分に掲載したが、とんでもないポピュリズムではないか。当然こういうのは豚骨ラーメンの店で見ることになるわけで、人々の勤勉と努力がこうして溶解していくのである。かくして社会も消滅していくことになるのだが、それって豚骨ラーメン好きの階層にとっては損だと思うがなあ。どないでっか。っす。