panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

アンナ・ハレントをみる−−−−−−−−−−みつを


  岩波ホールでは人気で無理のようだし、横浜ジャック・アンド・ベティ劇場(伊勢佐木町)でみた。男子特別デーで千円。ふふふ。正義はまた、勝った。
  この全体主義の起源を書いた哲学者にはまったく興味はない。そもそもギリシア金科玉条とする西洋流の発想そのものに距離を置きたいのである。ではあるが、この女流哲学者(?差別語?)のアイヒマン論だけは愛読書なのである。副題が悪の凡庸さについてというもので、ユダヤ虐殺の後方支援(鉄道輸送)の責任者であったアイヒマンをそう呼んだのである。
  映画のテーマもアイヒマン裁判である。アイヒマンはこんな顔(実物)。

  要するに、法律と行政規則に忠実な役人根性の典型がアイヒマンで、それが悪いことをしたということの強い自覚もなく(まったくないわけではない)、大虐殺(ショアー)に加担したことがわかって衝撃を受けたこの哲学者がそれを雑誌ニューヨーカーに書いて、全米と友人たちから孤立していくという実話に基づいている。
  とはいえですね、結局のところ、東条英機だってその一タイプではないか。日本人なら誰でも(キリスト教信者でもないかぎり)上司の命令は大体実行するわけで、役人が上司の命令で加担したことに大したこだわりがないということに衝撃を受けたこの哲学者に逆に衝撃を受けるというのが、その本に対する正直な私の感想なのである。でもそれはそれとして、世の中の悪は大体そうした組織的な悪だし(松本清張をみよ)、それはわかっている、というのが日本人なのではないか。それがどうした?と。ってまずいかしら?
  薬害エイズ事件の当時帝京大学副学長だった安部英もそんな感じの人だった。実際のところ顔もアイヒマンに似ているように思う。、、、ってまずいなら撤回するが。
  彼はこんな風。

  実は安部英の声は丸山真男に似ているという印象で覚えているのである。こうして私のなかでは戦後最大の学者とあと二人の役人根性人間が微妙な形で結びついているのである。申し訳ない。まずいなら撤回するから。
  そして最後に実際の映像でアイヒマンをみた感想をいえば、どうしてこれが凡庸な人物だと彼女は思ったのだろうか。アイヒマンは実にシャープだし、堂々と論を展開して自説を述べる姿は、大変優秀な官僚というものなのではないか。ここに凡庸さを感じ取る日本人はいないのではないか。だからドイツ人の優秀さというのは計り知れないものなのか?とも思ったりしたが、アイヒマンの経歴を知っている私は決して彼が優等生タイプではなかったこと、つまり官僚で成功する学業のキャリアをもった人ではないことを知っている。だから逆に一層、アイヒマンは大変優秀なサラリーマンだったとすら思えるのであるが。
  映画館では、途中、寄る年波でしばしば眠くなったのであるが、この映画から何層にもなった複雑な印象を受けたことを記しておく。
  ちなみに、彼女の名前は本当はハンナ・アレントである。でも映画館の切符を買うところで勢いあまって、アンナ・ハレント一枚と云ってしまった。あんなはれんちな失敗はもう二度としないことをここに誓います。・・・ま、そのくらい彼女の議論には全体として興味がないのである。そして全編タバコ臭い映画である。日本禁煙協会(教会?)がぜひ抗議されることを勧めたい。風立ちぬやるならこっちもね。よろしく(バカにしているわけですから、誤解なく。・・・あ、また、まずいなら撤回の用意が、、、、みつを)。