panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

フィリピンについてほぼイメージ固まる


(フィリピンエア。ただしこれで行くわけではない。唯一の友好国台湾を経由である)
  フィリピンについて固定観念をもって旅行に行ってはいけないが、まったくのイメージなし、知識なしではちょっち面白くない。それほどフィリピンは我輩の頭において能天気状態をなしている。
  ということで(人口に膾炙したフィリピンパブすら実はどういうものかまったくイメージがない)、少し勉強したが、こうだ。社会や国民性ではそれほど「遅れている」わけではない。むしろ進学率も相当高いし、都会はアメリカナイズしている。宗教もキリスト教で、イスラム圏としての周辺東南アジアでは例外的である。政治制度もかなり進んでいるし、政治参加の程度も高い。等々・・・にもかかわらず、である。
  そういう個々の長所があるとはいえ、圧倒的な貧困層があり、格差も圧倒的だ。階級社会は外国人(スペイン人と華人)が介在して一種の征服社会でもあり、まことにすさまじいものがある。世界的大金持ちがゲイティドシティを形成し、貧民をよせつけない。
  要するに近代化はしているのだが、国民社会の形成には失敗しているわけだ。もともとの隔絶社会のあり方を克服できない、あるいはする気がないということであろう。これは、もともと一体化している社会が改めて近代化の努力をしていく途上にあるというのとは異なる。日本はその点幸福な出発をしたわけである。中韓も同様にもともとはフィリピンでしかないことが、これほど我々の理解を拒む理由なのではないか。
  原型中韓としてのフィリピン。そういう心づもりで人類学的視線を向けてきたいと思っている。・・・そろそろ夜のラオス時間である。33本の歯に戻るので、おやすみ。