panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

続・亡霊は生きている


(シェントン寺院?だったか。ルアン・パバン)
  柿ノ木坂陸橋前の歩道を歩いてくる人が昔亡くなったある先生にそっくりで、愕然とするくらいだった。車のなかで聴いていたのがヴェルナーの指揮するBVW79の最初の曲で、太鼓のドンドンという振動が底から響いてくるので原始的なものに訴えかけてき、何というか怖いくらいだった。彼も生きていれば今の我輩くらいか。酒●先生。うーん、歳月人を待たず。って間違いだな。この用法は。
  昨夜、ユーモア・オカルト・ラオス・ミステリーの第二作『33本の歯』を読んでいたが、幽霊が夢に出てきて問題を解決するのだから、大笑いなのだが、今回は舞台がヴィエンチャンから一時、世界遺産の古都ルアン・パバンに移る。そこはシリ検死官73歳の亡き妻の故郷で、そこで2年前の革命で王座を追われた王様と遭遇する。
  シリ先生はもう嫌気のさした共産主義者なのであるが(だからメコン川を泳いでタイに大量に逃亡したラオスの人々の敵であり、王様を追い落とした側である)、王様と、王様の果樹園であっちの焼酎を飲み交わし、そのまま寝ころんで一夜を過ごすのであった。その部分の叙情的な描写が大変美しく(何度もいうけど、ユーモア・オカルト・ミステリーなんだが)、落涙しそうになる。アジアの文化的な会話(シリは若いときはパリで医学を学んだ)を英国人が書くわけで、厳密にはイギリス的な会話なのかもしれないが、そこはかとない心の交流がひしひしと迫り(明日は王様はこの王都から追放されてしまうのである)、あのルアン・パバンでかあとか考えているうちに、ま、意地汚く眠ってしまったのであるが。ふふふ。
  実際行ってみると、ルアン・パバンも暑かった。小説でも、ラオスの挨拶の定型らしいが、「暑いね」「暑すぎるね」という会話が始終出てきて、十分以上に暑さは強調されているのだが、それにしてもすがすがしい感じがする。1977年のラオス。もう35年も前の、革命直後のラオスである。・・・そういえば今は王宮は博物館となっている。最後の王様王妃の寝室やベッドを興味深く覗き込むラオス人であふれていたっけ。中は周囲の素朴さとうってかわって、まことに豪奢であった。こういうことをしていれば、最後はマルコス、イメルダ組みたいに、追い出されてしまうわけであるが、困ったことに、追い出した方が立派かというと、いまの中国を見れば、、、、、、、。

  ルアン・パバンの北?の方を真ん中の山からみる。人の写真。我輩も2010年の確か11月のところで紹介はした。