panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

サンサーンスな朝


  昨日は日中渋谷を歩いたが、それほど暑いという感じはない。やはり重大な体感力の低下がうかがわれるのだろうか。むしろ残り少ない人生の夏という感じがして、帰宅後、昨日の夜からのこの曲を聴きだした。
  サンサーンスはフランス19世紀後半の最高の作曲家で国葬もされた。もしリストを持ち前の才能が作品に反映されなかった作曲家として、ドイツ圏最大の不発弾だとすると、サンサーンスはフランス最大の不発弾だった。もともと神童だったし、俗世間的には最高位をきわめた人物なのである。にもかかわらず、どれもこれも、あ、そー、くらいの作品ではないか。動物の謝肉祭なんかを真面目に聴くなど笑えるし、オルガン付の有名な交響曲だってその辺のテレビCM程度だ。 
  しかし最晩年に3曲の室内楽作品を書いた。その一つがこれで、バスーン(つまりファゴットソナタ作品168。最晩年である。ブラームスの2歳年下にもかかわらず、ブラームスより20年以上も長生きして第一次大戦を経験して亡くなった(1835年−1921年)(ブラームス1833年1897年)。
  前にも書いたと思うが、昔学生のころ、必死にエアチェックをしていて(つまりラジオからカセットに録音する)、この曲も途中から入れた。いまのようにネットがある時代ではないし、本は高いし、サンサーンスを調べることは容易ではなかった。でもこれがサンサーンスであり、サンサーンスがどういう作曲家であるかは大体押さえた。
  そして20代後半にイギリスに行って最初にしたことの一つがサンサーンスの作品をチェックすることだったのである。日本では当時は、というか日本の田舎では当時はというべきか、サンサーンスのものがあまりなかったのである。そして知ったのは、イギリスにもないということであった。むしろイギリスに日本のレコードや映画俳優写真集などが輸入されていて、事態は逆転し、あるいは深刻であるということを知ったのであった。
  かくして大不発弾サンサーンスは30年以上も我輩のつねに念頭の作曲家となったのである。一人でいるときに我輩の頭で鳴っているメロディーはバッハではなく、実はこの作品の第3楽章であって、ふと気が緩むとこのメロディーが浮かんでくるのである。・・・やはりこの曲、我輩の壮大なる葬式の一曲にお願いしておくべきだろうか。もほほ。葬式はしないと遺言する予定でもあるのだが。
  第3楽章は6分10秒台から始まる。