panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

辺境のエドワード・G


  ポキはもう主任ではない。でも一定の仕事はある。しかし月曜日は基本的にない。主任から解放されたことを実感するために、今日は午後になって、日本一狭いというか小さい映画館があるのでそこに行ってきた。あるのは横浜なのだ。いつできたのだろう?
  ともあれ初めて降りる駅からトボトボ歩いて、シネマノヴェチェントという映画館に行ってみた。うーん。なるほど小さい。23か8席。6席×5列マイナス2という計算をしたから、28席か。出てきたところに簡単な食事ができるスペースがあって、そっちのほうが席の数は多い。
  でフリッツ・ラング監督の『飾り窓の女』をみた。たしか1944年製作。戦中である。
  当然ながら人並みの教養があるので、監督も主演のエドワード・ジー・ロビンソンもよく知っている。とくにこの心理学教授役だったロビンソンについては、30代で死んだ弟がエドワード・ジーと呼んでいた、というかこっちもそう呼んで、笑っていたので、うちの家庭では親戚のような俳優である。
  このまったく美男子でもない主役俳優はなぜ主役なのか。それがエドワード・Gと呼ばれる所以だ。その不可解さが我々、北海道の辺境の子どもの兄弟二人をして、そう呼ばせていたのである。いい俳優かもしれないが、バイプレーヤーでいいのではないか。
  フリッツ・ラングオーストリー人ユダヤ人。ウィリアム・ワイラービリー・ワイルダーオーストリーの人である。ハリウッドはそうした亡命監督によって成立していた。ミュージカルもだからウィーン由来ではないかと思う。オペラではなく、オペレッタからきているのだろう。
  いずれにしてもエドワード・Gは、たとえばスティーヴ・マックイーンシンシナティ・キッドで相手役のギャンブラーなどをやっていた。強烈な悪役が多かったが、でも渋い役をやってもやはりどうして?という感じで、北海道の辺境の兄弟は笑っていたのである。
  でもこうやってフィルム上映でなく、ビデオかなんかで小さい画面でみたのだが、久しぶりに映画らしい映画で、懐かしいとともに、大いに満足した。最後のどんでん返しには意表をつかれたし。まことによくできたストーリーである。日本のテレビドラマのテイタラクを急激に思い出すことになった。
  ちなみに1時から4回、2時間ごとに別の映画を上映する。だから終わりは9時。ポキがみた第二回目の時間には28席を4人の老人が埋めるという豪華な視聴だった。次は『そして誰もいなくなった』だったから見たかったが、この古い映画はいつかみたはずだから、やめて初回のノヴェチェントを後にした。

  こういう昔のポスターは味があるが、舐めたわけではない。・・・それは、やめて。