panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

かしこまりましたの社会的背景


  ラインとメールで、議事したのに忘れていた事項二つを思い起こされて、憂鬱になる。なんとかしたいと思うが、真剣になれない。アホらしくて。って云っちゃいけない、いけない。
  ベトナムからの電話で話したが、日本人の意思決定は手続き重視で、戦争して滅んでもいいから、そこにいたるまでの決定は皆の意思を尊重して、できるだけ民主的に行うというものである。これは徹底しており、公平さの感覚が行き届きすぎて、あらゆる人々のご機嫌をうかがうことが決め事の原則である。
  周囲に気配りして意見表明を行うことが必要だから、面倒をおこすまえに、そもそも意思表明しないという抑圧戦略がとられる傾向もある。その結果、どうなるのか。いわゆる「素」の自分を出すことを極端に回避するということになる。いちいち自分の意見を表明しては、異端視されかねず、調和的意思決定の阻害要因となるからである。
  その証拠が、フェミニストがあげる日本の若い女子の声の高さである。350キロヘルツくらいが平均で、これは先進国の女性の声としては異常なほど高い。そこでフェミたちは、女性が置かれた自己表明の困難さ、素の自分を素直に出すことへの禁忌などをよみとる。ま、そうなんだろう。無理してるわけだ。若い女子は。
  でもそれは女に限らない。女からみれば男が優位にたっているとしても、同じことは男にもいえるはずではないか。『男はつらいよ』。ということであるね。
  参考にしてもらいたい。全日本人は。
  結局、かしこまるという言葉がいまやシュウカツの若人を支配したように、萎縮(かしこまる)する意欲?をはつらつと呈示する「積極性」が日本人の資格証明なのだ。あー、議事事項をポキが忘れてしまうのは理由のないことではない、、、ではないか。
  こんな世界に誰がした。