panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

さびしく寒くすらある母国の秋


  台風16号の影響で昨日の豪雨コンパは最悪だった。こういう日に企画させた張本人は欠席だし、この御勝手屋羊羹(ごかってやようかん。本店は北海道江差)的な責任は追求したくなるなあ。ま、いつものことだが。
  しかも今朝は寒い。何カ月かぶりでオヤジといえばランニングのランニングを着る。走ったわけではない。着たのである。だから秋が来たわけでもある。秋には飽き飽きしているが、また来たのか。秋。あきました。
  今日もさっきから職場。もう仕事の季節なのであるからして。
  でも先週の今日はシンガポールやドバイほどではないにしても暑くて歩くのにゴジラ化していたのを思い出すと、悲しくなる。寂しいとすら思う。でもいまでも香港は暑く苦しく騒々しいのだろう。重慶マンションは相変わらずインド人だかアラブ人だか区別できない褐色の人々がにせもの時計を売りつけているのだろう。今回は騙されずにすんだが。・・・どっちかというと積極的に騙されたいのだが、そういう心理的余裕がなかった。ここからわかるように、騙されるには、若さと余裕が必要かもしれない。騙されたいものであるなあ。
  騙される余裕が欠けるという、比較的まれな我輩の今回の行動傾向を考えると、やはりそこには人生の秋が来たのだと思える。老化と劣化。殿、殿中でござる。それは松の廊下。まつのろうかで最初に変換されるのは末の老化だが。このパソコン。おちょくってるのか、おちゃめなのか。

  香港は最初の写真のように決して閉じた都市国家なわけではない。その点ではシンガポールが典型的な都市国家である。いくつも大きな島があり、緑がある。航空までのスカイナーでみても、大きな船が多数係留する港がたくさんあり、そして香港名物の高層マンションが林立している。だからもっと発展しそうだが、香港のこの無構想な発展は地球にとって大きな負荷でしかないのではないかという気すらする。この局地的な発展は、消費する材に対してこれから恩恵をうける側の人口があまりに少ない。だから都市国家なわけだが、こういう発展の仕方では多くの人間の平等な発展には資すことは少ないというようなやや曖昧だが、漠然ともしているが、感想がわいてくる。
  なお写真1は空港へむかう途中。写真2はホテルから九龍とは逆側をみた図。マジックミラーなので自分の手が映る。カメラも映る。もうタイから6年もたったのでデジカメは機能が低下した。新しいのを買わないといけないと思いつつ。写真3はチムシャーツイのプロムナード。写真4はセントラル(中環)のクイーンズロード。どの駅も表情がちがう。でも少し行って横の路地はセントラルのようなビジネス街でもこう。写真5。