panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

何百という文献を整理する


  午後になった。暑い感じもするが、完全な室内なので遠くに桜田通りを走る車も深夜のヨーロッパ風景時間つなぎ映像のように静謐に映るだけである。
  ずっとやっていた書類というか文献というかノートの整理を継続中である。もう晩年様式を遂行中の我輩であるからして、ここはこれまでの知を体系的に整理しはじめたということである。
  ここ十年以上、新しい知の動きはないようであったが、地味な地殻変動はおこっており、とくに歴史学にグローバルヒストリーというのが生じた。これは日本でいう世界史だが、欧米には世界史はなかったのである!意外かもしれないが、日本の方が進んでいた。でも内容的にはヨーロッパ中心の世界史を日本人がやっていたので、新鮮味はなかった。
  近年のグローバルヒストリーはむしろアジアの立場を考え直す見方を提示している。その結果、18世紀論争のように、18世紀、要はフランス革命あたりまで世界の富と文明の中心が決してヨーロッパにはなかったという議論が出てくるようになった。ならどこか?いうまでもなく中国なのである。中国が世界の先端であった。・・・まさに1789年のフランス革命の年は中国では乾隆帝の末期にあたり、要は中国の最盛期の終わりの時期にあたる。どうして絶対主義の混乱したヨーロッパが清より文明的に進んでいたといえるのだろう?
  ということからはじまって、世界と世界史の見直しを行うわけである。日本でもイフのない歴史ばかりやっていた実証主義に対して、イフを問う歴史的思考が生れてきた。これは要は理論的思考である。というか理論的思考のないところに歴史的研究が成立するはずもない。
 飛躍するが、20代の頭のいいときにサツ回りをして知性を殺してしまう新聞記者たちと、イフを禁忌して細かい実証に徹する歴史学者は似ているのだ。知性がまったく欠如しているのに、その「身分」が自分たちに知性があると思い込ませている。堕落というのはこうやって生れる。遠く仰ぎ見る舛添先生はまさにそうではないか。
  いずれにしても戦後社会科学のリベラルな常識が次々破壊され、いまにこの時代の業績でのこるものはなくなってしまうだろう。我輩はその最後の時期に大学に残ったのだが、それゆえリベラルな構えはとってきた。しかしこのリベラルの正体は極左だったのではないかと最近は思っているし、勤めてからの30年間はこのリベラルを払拭(ふっしょく)するという労苦の連続だった。ようやく朝日新聞をとるのをやめたのは数年前にすぎないから、この間の逡巡(しゅんじゅん)は長いものがあった。
  ということではあるが、もう待ってはいられない。時間がないので一書にまとめることにし、それが終わったら隠遁はできないから実質的隠居に突入する予定なのである。うーん。われながらなかなかいいプランじゃね?ただしプランBはもっと激しく脱力するというものだが、ここには書けない。
  レハールの一昨日あげたユーチューブが終わると、別のユーチューブが画面で出てくのだが、その一つをクリックしたら連続的にガランチャのものが流れる。途中でネトレプコにかわって、そしてまたガランチャになる。これはいい。何もしなくても連続してつづく。2時23分。
  写真は真昆布の収穫。7歳児のみつかった沿岸は日本有数の高級昆布地帯である。ひとさまのを借用。昆布の収穫は7月の後半から。しかしすでに北海道はいい季節に入ったのである。来週の今日は函館である。