panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

シュバイツアーを聴く


  もらった見本盤のバッハを聴く。二枚あって、一枚目が13のコラール前奏曲を弾いている。これが思いがけずいいので、いま自宅で大作を収めたもう一枚を聴いている。大フーガと小フーガが入っている。
  昨日物知りな学生にシュパイツアーのことを聞いてみると、かすかにしか知らないという。かつて密林(ジャングル)の王者と言われていたのではなかったか。隠者?いずれにしてもシュバちゃんの伝記を読んでいない小学生はいなかったのではないか。時の経過を思う。JT。
  我輩が覚えているのは、村の農民の少年たちと喧嘩するとシュパちゃんが勝つのだが、シュバちゃんは牧師の息子だから肉のスープを食べている、だからと農民少年たちは言い返したというところである。そこでの印象を整理すれば、1)ポパイのほうれん草のような肉のスープというのがどんなものなのかと我輩は羨望して思った。2)階級的格差の存在を知った、そしてドイツの農民が食べ物に恵まれず体力がないという、日本なら逆であるようなことを知った。3)格差を知って苦悩するシュバちゃんから、いずれにしても苦悩する自我というものを知った。4)そしてそれが何となくかっこよく見えた。5)偉人伝全盛期であったからそういう、人のために奉仕するべきではないかとうっすら思った。
  ということで、医師でノーベル平和賞の授与者、オルガンも弾く人である。野口英世と同じくアフリカのために奉仕して亡くなった。東京オリンピックの翌年亡くなったから、同時代的に我輩たちの世代は知っているのである。はばかりながら、その本をどこで読んで、どういう風景をみていたかすら、覚えている。
  結局、人道的奉仕からはほど遠い人生を歩んできたわけだが、何にもならなかったのではないか。偉人伝は。
  しかし10年近くも放っておいたシュバちゃんのCDの封を切って、残り少ない人生にやはりシュパちゃんの音を刻み込もうとして、相当なオルガニストだということを今知った。でも偉人伝を読んでいなければ、聴こうという気にならなかったかもしれない。
  オルガンは難しい楽器である。我輩は大半のオルガニストに違和感がある。教会で聴く分には感動しても、録音されたものを自室で聴いて満足することはあまりない。何か呼吸の違い、指の何分の一秒差の押し方離し方、ペダルの使い方などなのか、ピアニストよりも厳しい関門がある。バッハであっても、大半のオルガニストが我輩の基準からは落ちる(って俺様であるなあ)。
  シュパイツアーには感動した。第二次大戦のはじまる数年前の録音。80年前。何かを形に残しておけば、いつか誰かが知ってくれる、というところに人類の営為というものの栄光があるということであろうか。