panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

本来の世界に戻って、、、


  アジアへの関心を断ち切り、また旧来の日常に戻ってきたので、また昨日借りた一カ月遅れのレコ芸8月号を読み出すと、表紙の裏のカラー宣伝でオルガ・シェプスをみつける。
  ショパン2枚組。それはいいとして、外国の評が引用されているのだが、それを書いているのはヨアヒム・カイザーである。まだ生きてたのか。いつのカイザーだ。学生時代にすでに有名なドイツの評論家だった。
  だから結構、鶴見俊輔的存在で、もう耄碌しているのかもしれないが、これまで聴いたことのないショパンだというのである。外国版を探すが見つからない。日本版で2900円。ま、いいか。
  安保法制の議論がまだつづいているが、某評論家によると、1950年代の対立は、「憲法9条+国連軍+全面講和」対「再軍備+日米同盟+単独講和」だった。現実的には後者しかやりようがなく、これが吉田ドクトリンとなり、いまでは戦後レジームと呼ばれている。ただ、後者をセンタクしたにもかかわらず、現実には、憲法9条+日米同盟+単独講和(といっても中国など少数の国家以外は講和したので、多数講和という表現が適当だという)である。
  つまりここにねじれがある。だから日米同盟を破棄するのでなければ、憲法9条を変更するしかない。にもかかわらず今日買った雑誌の表現にいう「敗戦後遺症」ゆえに日本人全体が魔法にかかって、まったくもう無益な9条を改訂できないわけである。
  安保法制議論はますます瑣末化して、実際の戦争ではまったく作用するはずもない議論のための議論がなされているわけで、理解に苦しむ。これが非白人世界で唯一自力で近代化をなしとげた国のやることであろうか。
  アムランのモツ君も出た。