panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

第二次世界大戦、大東亜戦争、太平洋戦争、極東戦争


  6月になった。風がさわやかで、もう少しで梅雨が来るなど嘘のような気持ちのいい朝である。やることはあるが、若干うきうきするのであるが、100歳にもなるとこういう一日があることだけで嬉しくなるとはなぁ。
  日本の対米対中戦争の名称をめぐって今では太平洋戦争がま、一般的だと思うが、それは真珠湾攻撃の印象が強いからで、でも実際はその一時間前にマレー作戦が開始していた。
  マレー作戦は最終的にシンガポールの陥落で終るが、よくいうように55日間1100キロという戦史に残る成功を収めた。作戦をたてたのはあの辻政信だが(これが最低の大本営軍人なのだが、戦後参議院議員のときに東南アジアで行方不明になった)、山下中将が指揮して類例のないほどの完璧な作戦遂行だった。フィリピンにも別の作戦が敢行されており、最終的には両面から蘭領インド(インドネシア)の石油を確保することをねらったものである。『戦場のメリークリスマス』はそのインドネシアが舞台である。
  東南アジア方面軍(東南アジアという言葉は英軍のこの名称が戦後普及したものである)のあっけない瓦解、崩壊、敗北の結果、戦前にはそうでもなかった、白人対アジア人という構図の対立が一挙にアジアに広がったといわれる。こうして底流にあった人種戦争の観点が浮上していく。
  こういう観点はしかし戦後はタブーに近いものだった。人種的観点を入れて議論することは反動的だった。しかしこの点をはっきり主張して太平洋戦争は極東戦争であり、アジアの人種的解放という大きな歴史の一こまだったといったのがこのクリストファー・ソーンだった。
  このことは前にもいったかもしれない。この写真の本はポキが最初のゼミでその一部を読まされて、閉口した本である。そのときはこの題名自体を訳せなかった。いまなら簡単で、ある種の同盟(一種の同盟)でいいことがわかるが、当時の大学3年の学力ではそうはなからなった。凝った書名であると思う。こういう言い方はやはりイギリス本国のきどった表現だと思うが、いまならいい題名だと思う。
  いずれにしてもこんな人種みたいなものを表立って云っていいのかと当時は保守側の海軍出身の教師から距離を置こうと思ったのだが、結局気づくと自分がここに戻っていた。そもそもこの本のことすら忘れていたのであるが。
  何という不明、それを恥じたいと感じる。
  ソーンはガンで50代でかなり前に亡くなった。その追悼の文章を、そのゼミの担当教師が書いていたことも最近知った。この海軍史の先生も大分前に亡くなった。
  アホだった自分を振り返り、慙愧の念に耐えない。気持ちのいい晴天のなかで一人、アホだった自分の長い不明の過去を恥じる朝である。