panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

いつまた帰る(何日君再来)、カンボジア


  昨日で終わったのかと思った方もいたと思うが、昨日は外出して牡蠣を食べてきた。2カ月くらい前からの約束だったが、企画人を除いて全員が忘れていた。ふふふ。正義は牡蠣、いや勝つ。危ないところだった。何となく今週かとは思っていたが、昨日だったとは。
  しかも一人浮かれたカンボジア風の格好で出かけたので途中でユニクロで下着を買う。いやあ、こんな9月の東京もあるのか。当然、冷えた牡蠣を冷えた体で冷えたビールまで用意して食べる。寒くね?ドイツの白ビールはバカ高い。他はワインをたしなむが、ワインは白人帝国の飲料なもんで、、、、。

  ということで昨日中に終わらせることができなかったが、今日でカンボジア編の終わりである。
  そう思うと何となくこの夜来香の歌が流れてきた。言葉としては何日君再来が浮かんできて、ちぐはぐなのだが(李香蘭にはこの歌もある)、そういう気分なのである。帰ってくると、東南アジアというかアジアの灼熱が独特の香気をはなって思いだされる。その場合この香気をかぎ続けるためには、勿論、もうしばらくはアジアに行かないことである。でないと現実のアジアが待っている。
  さてツアコンみたいな人々は、さすがにアンコールワット、山のようにいて、JTBの貧相な制服がいたるところに人を引き連れてやってくる。毎日違った人々がやってくるが、初日、自分をカトチャン・ペに擬して笑わせた人物が印象的だった。
  どうも日本人は写真をとると決まっているらしく、この人物はいたるところで集団写真を強要するのだが、写真をとるとき、彼はニコニコ!と声かけして、ヨンコ!でシャッター、そして確認してカンペキー!というのをしつこくくりかえす。最近とみに鈍くなっているためか、途中で二個二個、四個だと気づく。・・・後に彼が37歳だと知って、愕然とする。同世代だと思っていたので。

  ホテルは国道6号線沿いで、このあたりは遠くみえてかなり中心地に近い。そして空港にも近い。10分バスに乗れば着く。壮大な6車線の道路で3つに分かれているので(3×2)、交通量が多いが、一歩奥に入ると、普通の民家がのんびり並んでいる。これがびっくりした。そして高床式の敷地の広い家々と立派な車も置かれているのをみると、ほんとに我輩の方が富んでいるのかと疑う。東南アジアより進んだ我々がこんな貧相な住居でヒーヒーいいながら生きているということを悟られないようにしないと。くくくくくくく、苦しいですなあ、首都圏的生。

  カンボジアの普通の家にはクーラーはないが、冷蔵庫もない。勿論ウォシュレットもないだろう。これは痛い。順序としてはウォシュレットからと思っている君君、高度成長は扇風機から始まるのである。ハエ取り紙すら知らない世代に、昔の日本がいかにアジアだったかをわからせるのはむずかしい。
  しかし自宅に初めて洗濯機が来た日の喜びを知る我輩は(というかテレビ、カラーテレビ、冷蔵庫、掃除機の来た日も覚えている)、こんなおだやかな生活ぶりがそんな程度の機械類で壊れていくのを見るのが忍びないとともに、やはりその喜びは大きかったということも知っている。この二律背反が解けない問題としていつも頭にあるので、福島瑞穂症候群の善意の人々のように単純に援助するということにはならない。それほど今日の日本の我々が幸せとは到底思えない。
  突っ走ることにかけては職人的徹底さでやりとげるという性癖の日本人の一員として、この解けない謎を考えるというのが、今回の研修の要諦である。単純な先進後進の枠組を放棄して考え始めると、この問題はかなりな難問である。完璧なシステムの稼働の一員となることの喜びと苦痛について、今後とも考えながら、ま、そうやって死んでいくのだなあ。・・・ただしこの写真の一帯、のんびりした生活につきものの犬がわんさかいて、おばさんたちに追い払ってもらって、ほうほうの態で逃げ帰ることになるのであるが。しかも鶏も放し飼いになっている。ここここ、これはなかなか獰猛である。どうも。