panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

追伸----アンコールワットさま

  同行者たちがこのブログをみるようなことはないので、一応ここでやってると伝え(というか何度も云ってはいるのだが、そういう関心をもたないのが最近の傾向だし、そもそもむずかしいと云われるのである、このスチャラカなブログが。世も末じゃね?)、許可を得たので少し追伸。あまり人物を特定されるのは問題であるが、顔が出て問題があるような複雑なプライバシーがある人は少ないわけで。犯罪に手を染めている人物もいないと思う。一人だけカンボジア人から対話の、いや大麻のお誘いがあったものがあったが、財布がなかったからなあ。そのときは。ふふふ。
  1)さてこの一枚はどうか。蜘蛛かコオロギ食で苦悶して、顔がすっかり変わってしまった瞬間。普段の我輩同様の上品さは消し飛んだ。我輩のその瞬間が歴史的記録に残らず、ほっとしている。・・・昆虫食の栄光と特攻の瞬間がここにある。虫を食べた後には、一種の英雄主義的高揚感があったことを密かに告白しておきたい。イモトが世界一のジャンプ台から飛び下りるくらいの激動の戦後史がそこに現出するのである。

  実は月間写真掲載容量の制限に近づいており、あまり多数を掲載できないことに気づいた。うーん。容量の見方を学習したはいいが、後悔・学習先に立たず。狡猾先に立つこの資本主義的国民国家的世界においてあまりに迂闊だった。・・・深津えり。
  こちら(下の写真)は余裕をみせているが、蜘蛛本体に歯をあてているわけではない。その意味では狡猾にも足だけ1ミリずつ歯で刻んでいった我輩と同じ戦略家なのである。

  女子委員も堂々と蜘蛛をつかんでいる。しかし狂乱の場というオペラ独特の場面がそこでは演じられたのでもあった。なおこの二人の男女隊員が今回の写真要員である。

  そしてこの狂乱の場はレッドピアノというおしゃれなカフェの前で挙行したのだが、店に迷惑をかけ、あまつさえ人々の好奇のなかで挙行されたものだったのである。

  2)昆虫食の後、いさんで向かったワニ食の鍋に誤解があったようである。前回掲載分のワニ肉の横にあるのはトムヤムクン・スープ。実態はジンギスカン鍋のようなものなのである。下をご覧ください。・・・ところでこの女子隊員はよーくTシャツを買っていたのだが、このとき着ていたスターウォーズの意味がそのときもよくわからなかった。ファンなのか。

  3)最終日、写真はないが全身マッサージを受けて、我輩の太股の筋肉痛は改善された。
  その原因はこれである。この急傾斜の階段は善意の階段である。昔はこの近代的階段がないため、直にある数百年前の石の階段をあがり何人もの世界の要人非要人(前回の旅ではそのなかの一人は韓国の看護婦と聞いた)が墜落したという。今回も、前回の教訓を思いだした。前回は上で足が震えてイカロスのごとく栄光の墜落かと思った。その後4年間、しばしば思いだしたこの階段。
  今回は一人旅ではない。しかも研修である。院卒である。いや、それは経歴であって、引率である。かくして人ごみにまぎれて降りれるだろうと踏んだ我輩。しかしこのアンコールワット最上階は広大で(どうやって石をもちあげたのか。黒四ダム以上の死傷者が出たであろう)、同行者たちからはぐれ、一人ぽつねんと下降せざるを得なくなったのである。下をみると、同行者たちはもう余裕で上を見上げているではないか。
  このときにイッテQのイモトの偉大さに改めて思い至ったのであるが、ともあれ最初の段に足をかけるときにもう震える繊細な我輩の足。繊細な精神に繊細な足。先人のいうことはもっともである。健全な身体に健全な魂などギリシアは古すぎる。近代においては繊細な神経は上空でブルブル震えるといわざるを得ない。かくしてその後、マッサージにいたるまで、ミニバスの乗り降りすら、手で足を持ち上げることになるのであったのは、これが原因である。おー、こわ。

  4)歴史的な一枚。まだこのときはビニール袋があるなあ。そして、写真部隊の面々二人。・・・これは仲間受けねらいであるね。


  5)ともあれ、また追伸するかもしれないが、これで一応この回は終了。なにせ写真を選んで乗せるというのが時間がかかる。書くだけなら10分くらいなのだが。写真は夜の同行者と昼の同行者。勿論同一人物たちである。違ったらおかしいでょ?・・・分裂研修となった今年、もう一方のドバイ組はきちんとアラブの砂から帰還しているだろうか。連絡はない。