panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

いよいよシュエダゴンパヤー


  ヤンゴンのパゴダ(寺院)で南のダウンタウンの中心にあるのがスーレーパヤー。北の高地になったところにあるのがシュエダゴンパヤーである(パヤーはパゴダのビルマ語)。
  写真のブログ容量が心配なので画素数の少ないものをアップしたが、壮麗で静謐(せいひつ)、豪華にして厳かなシュエダゴンパヤーは、見るものをまさに圧倒するだろう。我輩は、まともな宗教的感受性はもたない渡り鳥人生を送ってきた。津軽海峡を3時間50分かけて青函連絡船で渡ってきたときから、世俗的近代社会の申し子であった。しかしながら、そうした申し訳ない葬式仏教徒であったにもかかわらず、まことに畏怖の念をもって、この金ぴかにして大理石の敷きつめられた一大巨大寺院と遭遇することになった。
  入り口からしてもう大きな宗教世界に包まれて入寺することになる。たとえ外国人用の高い入場料を手ぐすね引いて徴収しようというミャンマー人たちが山といようと。長いワグナー的というかバイロイト的屋根付参道を歩くときから既に、我輩はシュエダゴンパヤーの魔力に完全にのまれていたといってよい。
  金色、ま、つまり金(きん)は秀吉の代名詞である。それは桃山時代ならともかく、下品下卑その他の成り上がりの象徴であったはずではないか。それが、ここまで徹底的に全体を金で装飾されて寺院として成立すること自体、ある種の日本人には耐えられないはずである。しかしこの抜けるような青空には金色以外に対抗できるものはない。あるとすれば、大理石の白である。かくして東南おおアジアでは金と白が基調となって壮大な宗教施設がつくられることになる。
  それがたとえ為政者の政治的戦略であったとしても、むしろ為政者自身が金と白の文化的にして自然的な要請をはねのけることができなかった、というべきかもしれない。
  ということで、我輩のつたない写真を多数のせても意味がない。シュエダゴンパヤーについては山のように写真が見つかるだろう。興味のある方は検索してください。

  内部は迷路状ではない。規則正しく8曜日にしたがって整然とシンメトリーをつくっている。しかしその規則的な空間を歩いていると、実はどこにいるかを迷ってしまう。その意味では開かれた迷路と呼びたい。二度も三度も迷った(一度はバゴーの大スコールの中で)。


  椎名誠の例の本がシュエダゴンパヤーの構造のよい説明になっている。さすがに物書きである。ご覧ください。要するに真ん中に99メートルの大パゴダが建っていて、それを大小無数の小パゴダがビルマ様式の繊細なつくりで思い思いに囲んで建っている、といったものである。どこでも人々は静かにいのる。うるさくお経を唱えていたのは、行楽地のみやげ物屋のおばさんたちの方であった。

  こんな風に山のような数の小パゴダが取り囲む。我輩が思いだすのは、水木しげるのおどろおどろしい絵である。このビルマ様式って。