panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ウェブカメラを買うどころの話ではなく、ヘーゲルの死因

f:id:panacho:20200417131741j:plain

  気持ちはこの僧院の回廊のように、澄みわたり、茫然自失である。そもそも電気製品の大型販売店が閉まっていた。夜の僧院のようになっていた。

  そこでヨーゼフ2世が受けたかもしれないので、伊集院的蘊蓄を一つ。

  哲学者ヘーゲルも死因は感染病である。ただしコレラ。あれらこれらではなく、正真正銘のコレラ筒井康隆の小説に「コレラ」というのがあり、また売れ出したというカミュの「ペスト」のパスティーシュなのだが、ペストと聞くとある種の壮絶な悲惨さ、黙示録的荘厳さがあるのに、コレラだと豚コレラのように、少し滑稽感があるということを利用して書かれた傑作である。笑えること夥しい。

  ヘーゲルはしかしまだ子供が小さいのに、60歳くらいでコレラで亡くなった。当時のベルリンで流行っていたらしい。ちなみに蘊蓄2だが、ヘーゲルベートーヴェンは同級生である。同じ1770年生まれ。不思議な感じがする。ベト君は56か7で亡くなっている。シューベルトが亡くなった翌年前後である。シュー君は31歳(確かではない)だったと思うが、そういう次第。

  さらにいえば、1770年生まれには、もう一人、文人というか狂気の詩人・思想家ヘルダーリンがおり、狂ったまま長命を生きた。

  法政大の先生が新型コロナウィルスで亡くなったようである。他人事とは思えない春の晴れた午後である。中国ウィルスになんかのどかな日常を奪われたようで、トランプではないが、それなりの報い(英語では何というのか)を受けていただきたいという感じも、なきにしもあらず。・・・暇ではないが、逃避してブログを書くようでは、せっかくの春の憩いが雲散霧消であるなあ。