panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

下界は狂気のインフルエンザという時期に


  体調は今一つで、風邪のようなそうでないような。しかも世間こそまさにインフルエンザで狂気と化している。そんななか、また風邪だかインフルだかになって、寝込むのは絶対避けたい。
  そういう新年ではあるが、実はその合間をぬって、この映画をみて、途中で眠気を覚えてシャンソン聴きながら寝て、そしてすばやく帰宅したことがあったのである。黙っていてはいけない気がして一応書いておく。
  バルバラはもう亡くなってしまった昔のフランスのシャンソン歌手。どこかをさがせば一枚はCDがある。でもどこにあるのか。とにかく映画としては、朦朧として、伝記映画ではなく、バルバラを演じるバリバールという女優のバルバラ映画をつくっているところを映画にしたもので、入れ子状態になっているところが知的鑑賞に耐えるが、何をいいたいのかは不明。途中でやはり風邪気味だったせいか寝ていたことも大きいが、そもそも変なオタクの監督が出てきて(これが実際に映画の監督で、かつ映画のなかの監督を演じているもともとは役者の、顔はよくみる男)、フランス人にはわかっても、日本人にはバルバラの背景的知識が圧倒的にないわけで、よくわからないという映画。同じような評があったので、この感想は一般的なものだといえるかもしれない。やはりフランス映画は筋をないがしろにするお間抜け映画の巣窟である。
  でも見ないと、いつかBSの深夜まで待つことになるからなあ。YouTubeバルバラはたくさん聴ける。それを掲載するより、1966年の東京をみていたほうが勉強になる。出てくる兄妹はきっと同級生くらいである。つまりこういう雰囲気のなかで(ただし東京だが、都会化の程度を除けば地方もこうだった)、ポキたちも育ったのである。主婦は着物をきている。東京の下町の労働者の奥さんたちはオリンピックの後でもまだ和服だったのである。割烹着もしびれるほど懐かしい。

  こういうのをみると、やはりいまの日本人は別の惑星の人種だ。この純朴さはもうどこにもない。