panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

いまなら勝てる


  秋らしい珍しく日本晴れの日である。結構結構。こういう日がたまにあることが救いだが、にしてもこの侘しさは変わらない。侘しい日本晴れ。
  日本晴れがいつもこういう年寄りくさい日本晴れだったことに、気づくのが遅れた。100年くらい遅れた感がある。2歳のころに気づくべきだった。確かに昔から、秋はいいなあ、というときの感じはこういうものだった。華やかさの微塵(みじん)もない、消え去るような物悲しさがコートの裏地になっているようなコートが日本の秋の空だった。
  これを女心と秋の空とかいって胡麻化してきたわけだが、女という文字が入るだけで何となく華やかになるような心の機制は、俳句や和歌によって何百年にもわたって培(つちか)われたものであって、この文化的マジックを剥いでみてれば、その実はいつも貧しく侘しく悲しくすぎる日本の秋なのである。
  苦しい夏のあとにポカンと真空な侘しい秋。なんという苦難の四季なのだろうか。日本。
  ったく、いまならポキは猪木と戦って勝てるわけで、でもこんな猪木にも多くの人々は負けるかと思わせられているのではないかと想像する。そのような力こそ俳句や和歌やが寄って集(たか)って植え付けてきた文化的欺瞞なのである。
  あー、秋が来ても、楽しめないなあ。かくして。猪木と戦って仰ぐ空も同じ秋の空ならば、でも、戦う意味がない。という日本の秋。
  もう秋を楽しめないなら、いつの季節を楽しめるのか。