panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ワインもパンも


  パン食は戦後のGHQの戦略だった。余った小麦の輸出先を一つ増やすために、パンが何かハイカラな食べ物として供された。給食からまず始まった。しかしコッペパンなんかうまくなかったし、いまでもイギリス式の四角い食パンは正直言ってうまいようには思えない。
  しかし食パンで朝を済ます人をハイカラだと思う人はいるし、本人たちもそう思って食べているのだろう。同じようにワインも何かハイカラだと思い込んでいる日本人は多い。
  まったくうんざりなのである。秋にも飽きたが、他にも現代日本のこの戦後的変貌についてうんざりすることは多い。これらはさまざまな戦略の成果なのだ。教育だってこれほど勉強を好まない大学生がいるのは、戦後のアメリカの采配かもしれない。
  というわけで、ポキもコメ以外にパンを食べるし、場合によってワインをつきあう(ま、肝臓がといって避けることが多いが)。しかしそのたびに、以上のことを反芻しながら、食べ飲む。必ずそうしている。自覚的にではなく、ひとりでにそういう思いがつねに随伴するのだ。面倒だが、仕方ない。
  これがある意味ポキの仕事でもある。バカみたいに、戦争に負けたからって、欧米をやはり崇拝としかいいようがないほど遇し、軍隊を放棄するだけではすまず、食生活の根幹から大規模に変更を図るなど、まったくあり得ないことだが、あり得たわけだから、この嗤(わら)うべき奴隷根性は、笑うに笑えない。と思うと、でもやはり、笑えてくるのだが。
  写真はヒリピンのお子様。ひもじいのだろうか。でもこれでやっていくべきだったのではないか。戦後の日本は。武士の高楊枝はどこにいったのだろうか。と、保守派のような感想をいだく。・・・爪楊枝は現在では大半が外国産ではあるが。ふふふ。(よくみると、この人はお子様だろうか)