panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

咳、収まる


  薬のせいか、旅の疲れか、午後はソファに横になって過ごした。明日から仕事が始まる。公式の。ポキの場合は来週からだ。そのためのいくつかのメールを打ったりはしたが、基本は静養。
  一緒に指導に入ってくれた恩人は翌日はもう仕事をしていた。その点はポキは幸せだが、実は咳がひどいというほどでもないが、あって、体力を奪う。
  昨夜はゲッツ板谷のインド怪人紀行を読み切った。朝4時まで、つまり今朝までかかったわけだが、そのインドの筆舌に尽くしがたいひどさが、ポキの症状を緩和した。一度は飛行機内で大変な事態が生じるのではないかと心配したこともあったので、この本に出てくる、鉄道の席の上にある網に半日以上も縮こまってカルカッタまで行くところなんか(しかもそのゲッツの子分は下痢を我慢している)、ほんとに同情を通り越して、こちらに震えがくるくらいの臨場感だった。
  インド亜大陸中南米新大陸、アフリカ暗黒大陸、オリエントアラブ中近東は、ポキは、晩年、家族に捨てられるようなことがあったら、半分自殺しに行くかと思っているようなところであって、それ以外の理由で行こうという気にはならない。この本でもインドに大麻を吸いにくる若人がたくさんいるということが記されているが、まことにアホみたないな連中である。無事帰ってきても、薬をやっていたんじゃ、まともな人生は送れない。
  ちなみに今日、ポキが飲んだ薬はまとも人生のためのまともな薬であって、インドまでいって入手するような薬ではない。それはクスリだ。
  写真のトラックの小さく手をあげている人。この人は我々に手を振ってくれていた。思わずポキも手を振った。なぜ手を振ってくれたのだろう。ありきたりだが、このときはなぜか嬉しかった。警察署でようやく証明書を入手した直後で安堵の気持ちがあったからだろうか。

  これも同じ通りである。セブのアップタウンからダウンタウンまでの目抜き通り。

  あまり天気の良くない写真ばかりだと華やぎにかける。最後の一枚は海。海に入ったのは帰る前日だけ。海は、、、102歳のポキには辛いものがあったかもしれない。家風として泳げないし、家紋は「まるにもっこ」なのである。ふふふ。あっちでみたNHK国際放送の桂歌丸の家紋と同じだった。カモン・ベイビー。
  この島のプライベートビーチまで行く間に、こんな村を通るのである。なぜか。やるせないものもあった。セブは洗練されたビーチリゾートとしてはまだ未完成であると思う。

  そしてここに出る。